on the road

カルチャーに関する話。

勝手にふるえてろ

2/2(金)は午後有給を取っていた。外回りの仕事を終え次第、直帰という久方ぶりの楽しい週末を迎えていた。

 

外回りは最後に和光市の営業所を回る予定でそこから都内のサウナにでも行こうと思っていたが、前々から観ようと思っていた「勝手にふるえてろ」がシネ・リーブル 池袋で15:55から上映予定で、ちょうどよく時間が合いそうだったので、予定を変更して、「勝手にふるえてろ」を観た。

 

 

シネコン型の映画館しか行ってなかったから、シネ・リーブルの映画館の大きさとかあまり傾斜がない設計とか面白く感じた。

 

勝手にふるえてろ」はどうやら音にこだわってるらしい。冒頭は松岡茉優の声にならない声が漏れ聞こえてくる。ヨシカの聴いている音楽はゲームみたいなピカピカした電子音でヨシカの個性をそれとなく感じさせてくれるし、妄想する時には水のくぐもった音が聞こえるし、ラストのあの演出も音にこだわっているからこそ、できたシーンだ。

 

松岡茉優演じるヨシカは、今どきの女の子?っぽいオタク気質なちょっと変な女の子だ。自分の妄想する世界で満足して、現実世界は省エネで取り繕ったりしない。ムカついたら、陰でファックと言うし、うがいして唾を吐き捨てる。アイドル化していない姿を描いているのには好印象だ。靴のアップが何回か登場するが、それはかかとが踏みつけられた靴で、だらしなさを演出していたりする。そんな彼女のアダ名のつけ方にも注目すべきだろう。上司のフレディ(フレディ・マーキュリーに似ていることから)、隣人のオカリナ(いつもオカリナを吹いているから)、そしてニ(2の書き方が独特だから)。彼女は基本的に中身を知ろうとしない。アダ名を付けて少し遠くから見ているだけだ。

 

妄想をしている時のヨシカは、饒舌になる。周りの人に自分とイチのことを話しまくる。そして、周りの人も嫌な顔をせず相槌を打ってくれる。こういう語りかけは保坂和志のよく言う愛にも似ているかと最初感じたが、全然違う。保坂和志の言う愛は、特定の誰かへの語りかけをしていくことで、ありふれた世界が燦然と輝いていくのに対して、ヨシカの過剰な語りかけは、特定の誰かを対象とした語りではない。あの時のイチはかっこよかったなあとか、過去の話しか基本しない。"学生の頃のイチ"が好きで、イチから語りかけられたということを何度でも咀嚼して、そこから滲む感情を延々と語り続けるのだ。ともすれば、あまり関わりたくない女なのだが、そう感じさせないのは松岡茉優の怪演のおかげだろう。松岡茉優はほんとに楽しそうにイチの話をしているところとか、ずっと観ていられる。

 

保坂和志の語りかけは世界がどんどん開けていくのに対し、ヨシカの世界観は閉じている。そんな彼女がニとの出会いや、イチとの再会をしていくことで、物語が大きく動いていくわけだが、彼女が大きく変わることはない。

 

何年もも同じ人が好きであり続けた彼女がそう簡単に変わるわけはない。そんな彼女の元へニは文字通り土足で踏み入れる。(わかりやすくニの足元のアップになる)。ヨシカへの不満を伝えつつ、それでも好きなんだという吐露は最高のプロポーズじゃなかろうか。

 

観た人は絶対感じただろうが、あざといくらいの水の演出はなんなんだろうか。泣いたり、うがいしたり、歯磨きで唾を吐き捨てたり、お酒をこぼしたり、川の音がやけに大きく聞こえたり、雨がザーザー降ったり、妄想に入るときに水の音がなったり。またラストの付箋のシーンしかり。

 

僕が思うに、ヨシカが現実と妄想のギャップに直面するときに水の演出が使われる。水=現実と飛躍してしまっても良いと思う。そう解釈してしまえば、物語全体の見通しも良くなるし、わかりやすくなる。

 

こういう作り込まれた細部は好きなんだけど、あまりにも気づきやすく、わかりやすく作られているからそんなに分かりやすくしなくて良いのに!と思ってしまう。

 

だから、周りの人に比べて大絶賛というわけではないけど、傑作ではあると思います。おすすめです。