on the road

カルチャーに関する話。

筋肉痛は英語で

今日の朝、夢の残滓のような涙が出ている。夢の感触がうっすら残っている。僕は体育館で泣いていた。部活を引退して寂しいという感情でみんなが教室へ戻っていく中、ひとり体育館に戻って泣いていた。夢というのはなぜこんなに感情が強く動くんだろうか。

 

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寂しい気分をコーヒーで吹き飛ばして、オンラインで資格講座を受けている。宅建の試験を受けるのは今年で3回目。過去2回は生半可な気持ちで勉強していたので合格点に2点足りないとか微妙な成績で落ちていてとても惨めだった。今いる部署はグループ各社の許認可について管理している部署だから、宅建業だとか建設業だとか、今までよりはリアリティのある言葉として響いてくる。今の部署に来てからはそれなりに業務外で勉強してきた方だから、講座が生ぬるく感じる。今年初めて講座を受講したのだけれど、必要なかった気さえする。講師が受講生のモチベーションを上げようとひたすら褒めている。後半になると僕は受講生の画面を選択、固定してマウスカーソルを鼻の穴に合わせる遊びをしていた。夏は遊びたいので、明日からは1時間ずつコツコツ勉強していこうと思う。

 

先週からずっとうっすら意識していたのだけれど、今日は父の日である。僕は20代半ばなのに未だに実家にいて、それでも大して家事を手伝わない。風呂掃除とか父にパソコンのことを教えたり、母の愚痴を聞いたりくらいしかしていない。祖母が亡くなってからか、人間関係というものを大事にしようという気分になっていて、誕生日やら母の日、父の日はケーキを買ってくるようにしている。いきなりちゃんとしたプレゼントを買うにはまだ気恥ずかしい。

 

昨日は自宅から高校まで走った。往復すると16.4キロくらいだろうか。体力は全然ないし、全力で走ると膝を痛めるのがわかっているから2時間ちょっとかけて走る。ちょっと歩いたりしたけれど、立ち止まることはなかった。今日も家の近くをぐるぐる走った。梅雨なので、毎日走れているかというと微妙なところだが、習慣化しつつある。ジョギングするようになったきっかけはダイエットだ。純粋にダイエットするなら、食事の量を減らすのがいちばん良いと思うが、今年の初めに7キロ痩せてコロナ禍の中で7キロリバウンドしてしまった経験があるので、しっかり筋肉をつけながら痩せたくなったのだ。今ではダイエットという目的が薄れつつある。

 

走るのは苦しい。清々しい顔で淡々と走るのが理想だが、足はもつれるし、息は上がるし、おじいさんにどんどん抜かれる。それでも、足を止めないで走り続けていると自分を肯定できるような気がする。苦しくてもひたむきに歩を進めていくことで安きに流れない心の強さを手に入れたような気分になる。走ることの楽しさというのは、肉体的な訓練というよりも精神的な成長を感じることなんじゃないか、なんてことを思う。

 

ここ一週間は常にうっすら筋肉痛があって、今が筋肉痛のピークだ。筋肉の痛みは慣れてくると心地良い。高校生の頃は運動後のケアの重要性を理解していなくて、ストレッチもちゃんとやっていなかったが、社会人になり、運動不足ですぐに身体の節々を痛めるようになったからかストレッチを時間をかけてやるようになった。ストレッチをすると筋肉痛も軽減するし、膝も痛くならない。風呂に入っている時にどうすれば効率よく筋肉をスマホで検索していた。筋肉痛ってそういえば英語でなんて言うんだろうか。muscle painの訳はないよな、と思いながら検索したらmuscle painだった。もっと文化の違いを味わいたかったのにそのまんまだったのでがっかりした。

 

7月に女友達と飲む約束をした。コロナ明けなので直接会うことで変に意識してしまいそうだ。失言をしないようにだけ気をつけたい。あと、お酒を飲み過ぎないようにしたい。そういえば、今週の「かぐや様は告らせたい」読みましたか?仕事で誰かの尻拭いばっかりしていたからか超絶響いて泣いてしまった。頑張ってるのをちゃんと誰かが見てるってものすごい救いだし、恋にならなかった好きも肯定的に描いてるのが良いよね。コメディ成分強めの作品だけれど、たまに繊細な感情を描くエピソードがあるので、ほんと丁度良い塩梅のラブコメだなと思う。

 

 

あと、今日のランニング前に読んだ「チェンソーマン」面白かったです。

 

 

 

痩せねえ!

もう6月だ。映画館もぼちぼち開き始めているようだけれど、近くのイオンの映画館では、自分の観たい映画(「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」とか)がやっていなくて、まだ足を運べていない。

 

最近の休日の過ごし方は長風呂と昼寝の繰り返しで、本も映画もドラマもろくに触れられていない。自分の体力の多くを仕事に割かれているからか、しずかちゃんとのび太くんを足して2で割ったような生活になってしまっている。後輩に勧められたアニメやらテレビ番組を観たいとは思うのだけれど、メリハリがない生活をダラダラ過ごしてしまっている。来週からは宅建を取るために日曜から学校も通い始めるので、多少はメリハリのある生活を送れるんだろうか。

 

友達に1ヶ月で8キロ痩せると宣言したものの、そこそこ仕事が忙しいので、食事量を減らしすぎるとぶっ倒れると思って、あまり減らせていない。だから、今週からランニングを始めた。高校時代の自分が見たら情けないくらいのスローペースで3キロちょっとの距離を走る。高校生の頃は1キロ4分を切るペースで5キロくらい走れたけれど、最近は1キロ10分前後の超スローペース。膝を痛めたくないから、という理由もあるけれど、情けないくらい遅いペースだなと我ながら思う。翌日はしっかり筋肉痛になるので、いかにこの数年運動不足だったのかが身にしみる。高校生の頃まで、とは言わなくても大学2年生の頃ぐらいの体力は取り戻したいもんだ。体重は全然減らない。運動じゃそんな簡単に痩せないのはわかっているけれど、体重計に乗るたびに痩せねえ!って声に出してしまう。

 

土曜日の夜、散歩に出かける。すでに夕方ランニングしているから、ダイエットとか運動目的ではなく、ただ気分転換がしたいがための散歩だ。子供の頃、地元という概念が嫌いだったことを思い出す。いつまでも地元にしがみついて、狭い人間関係の中で生活し、学生の頃の価値観に囚われたまま、大人になっていく。そういう感覚が僕にはあった。井の中の蛙にはなりたくないということなのか、ダサいと思われたくない、田舎者根性なのか。結果的にいまだに埼玉に住み着いているし、砂利道の水たまりを避けて歩いたり、雨上がりの土の匂い、蛙の鳴き声、そういうものに心を惹かれてしまうようになってしまった。同じ場所でも季節や天気の移り変わりに目を向ければ十分飽きない。心はすっかり爺さん。とはいえ、もっと色々なところへ行ってみたい、なんてことを思う。大っぴらに遊びに行けるようになったらもっといろんなところに出かけて、うまいもんを食べたり、サウナに入りたい。旅行行きたすぎて、半年前くらいから定期預金の口座を開設して、毎月旅行貯金をするようになった。世の中の旅行好きは年にどれくらい旅行に行くんですかね。年2回旅行行ければ、まあいいかなと思っているけれど、オススメの旅行先があれば教えて頂きたい。良いホテルに泊まりたいっす。最近、YouTubeで誰かにプレゼントする用の口座を作った方がいい、というようなことを言っていて真似したいと思った。今月から少額でプレゼント用に定期預金の口座を開設するかあ。

どケチになった話とか

友達と会えなくなって、どれくらい経つだろうか。3月には友達の家でハンバーグパーティーをしたり(僕が結婚式の二次会のくじ引きで当てた松坂牛のハンバーグ)、4月は静岡へサウナ旅行しに行ったり、後輩の誕生日を祝ったり、GWに一人旅をしたりなんかしたかったけれど、全部できなくなってしまった。緊急事態宣言が解除された今もなかなか友達を誘えずにいるし、おそらく7月になっても今と同じくらい感染者は発生していくのだろうから、夏に気軽にビアガーデン行ったり、BBQしたり、サウナに行ったりはできないんだろう。部屋の照明のせいなのかPCの位置が悪いのかオンライン飲みしてる時、自分の顔が影になって顔色悪そうに見えるのが嫌なので(普通に酒弱くて顔が真っ赤になることは無視する)、早くオンライン飲み辞めたい。週末は退屈すぎるし、その割に平日の仕事の疲れが抜けずに寝てばっかりの日々を過ごしている。以前までの僕ならオンラインショッピングしまくり、給付金も即使用していたんだろうけれど、ほぼ金を使っていない。

 

中学、高校まではそんなことなかったのだけれど、大学時代働いていたバイト先の影響で金遣いがめちゃめちゃ荒かった。バイトでたいして稼いでいないのに、後輩に奢ったり、本を大人買いしまくっていた。社会人になってもその傾向は変わらず、月2万円までは奢って良いというルールを自分に課して奢っていた。ボーナスでまとまった金が入ってもいつの間にか自分の銀行口座からいなくなってしまった。気の迷いでバイト先の代表から家を借りて一人暮らしをしたけれど、金がたまんなすぎて、辞めて実家暮らしに戻った。20代半ばと称するよりは20代後半と呼ばざるをえない年齢に差し掛かりつつある我が身を振り返り、今の会社に居続けた場合に想定される生涯年収を計算して流石に家計を見直さないと一生(ある程度の水準を満たした)一人暮らしはできないし、貧乏生活を送ることになるぞ、ということで去年の年末くらいからどケチ生活が始まったのである。

 

この半年で家計は大幅改善した、と思う。今思うと完全に無駄だったなと思う生命保険を解約し(色々勉強してわかったけれど一人暮らしの人は生命保険なんて入らない方がいいっすよ)、コンビニで昼飯を買うのを辞めて家からおにぎりと水筒を持っていき、二次会は無駄に参加しないようにして、一時期は週3回は行っていたサウナを月1回に減らした。全てのジャンルで無駄遣いをしていたので、必要最低限、というのを意識して、生活してみるとキャッシュフローベースで大体月15万円くらいはプラスになるようになった。毎日のようにスマホのメモを開き、どういう予算管理をした方がいいのか、この調子だと年末にいくらになるのかを計算している。今は年間300万円くらいプラスになるように更なる節約を考えている。決して高くない僕の年収からすれば驚異的だろう。こう年収であれば、巷で言うFIREも夢ではない。お金のことだけ考えれば、意味のない一人暮らしはする必要がない、と感じる。会社に入って簿記を勉強して、財務諸表を読めるようになり、取締役から不動産投資の話を聞くようになってきた僕からすると、一人暮らしは富める者にお金を渡している感覚が強い。ここ数年、世界的に経済格差があまりに拡大していることもあり、下手に一人暮らしをして結果的に金持ちに金を渡すことになるのはとても嫌だ(なので有名YouTuberへスパチャするのも嫌い)。感情論すぎるけれど、その気持ちが今は強い。なので、何に金を使いたいのか、それをコロナ禍の中、考えていた。応援したい企業へお金を使おう、仲の良い友達と美味しいものを食べよう、というありふれた結論に達した。社会人当初掲げていた月2万円までは奢っていいというのと根っこはあまり変わっていない。以前はほとんど足を運んでいなかったミニシアター系にも足を運ぼうと思うし、演劇ももう少し見ていこうと思っている。

 

 

年間300万円も貯金しようとしているの?勿体無くない?と思った人もいるだろうが、僕はあまり貯金しようとは思っていない。つみたてNISAやら個別株投資をちょっとずつ始めている。株については半年前までは全く知識がなかったのだけれど、チャートの見方がうっすら分かるくらいには知識がついたと思う。身の程をわきまえた投資をしているから、大損はしないし、むしろコロナのおかげで初心者でも楽に儲けられる。この時期に始めて良かったと心から思っている。大学生後半の頃、40歳の時に年収2000万円を稼ぐ、と豪語していたけれど、社会人生活をある程度送り、金の勉強をしまくった結果、今の会社でゆるく働いて、インデックス投資で堅実に資産を築きながら、高配当株の配当でちょっとした贅沢をする、というのが現実的なラインなのでは、ないかと思う。せっかく住宅業界で働いているんだから、不動産投資に手を出してみるか、と思って色々調べてみたけれど、固定資産税の支払いや修繕の手配、青色申告、全部めんどくさすぎると思ってしまった。片手間でやれるほど甘くない業界なので、不動産投資するくらいならREITでいいわ、と諦めた。株はファンダメンタル分析を最低限やれて、新聞をまともに読んで、チャートの読み方がわかればそんなに難しくないと思うし(デイトレはわからない)、世の中こんな会社があるのかという知識欲を満たせるので、僕は好きだ。最近はYouTubeで会社の決算を解説している人の動画を見たり、チャートの読み方や成長株を探すライブ配信なんかを見ている。ライブ配信は投資家がどういう観点で株を買うのかわかるから、勉強になるから暇な人は見てください。

 

目が血走るくらい金のことを考えていた半年だったので、書きました。しばらく金の話はしません。オズワルドのツッコミの伊藤(寿司泥棒)の妹が伊藤沙莉だということをラジオで知って、衝撃が走った話とかそういうの書きます。

遠く離れたところ

 

星野源の「Family Song」で僕が思い出すのは楳図かずおの『漂流教室』だ。そんなの僕しかいないんだろうけど。

 

漂流教室〔文庫版〕(1) (小学館文庫)

漂流教室〔文庫版〕(1) (小学館文庫)

 

 

漂流教室』の原作では、主人公の翔の母は未来にいる翔の声を聞く。翔の声を聞いた母は狂気じみている。『Stranger Things』で裏側の世界にいるウィルを探し求めるウィノナ・ライダーにも通ずるところがある。

 

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周りから見たら狂気じみているんだろうけれど、強い思いがこことは違うどこかとつながりうるんじゃないか。「Family Song」の一節でそれを思い起こす。

 

遠い場所も繋がっているよ

 

これは、血でつながってなくても家族たりえるってことを歌っているから、関係ないんじゃないか、って思うかもしれない。だけれど、僕には同じことなのだ。同じ場所で暮らしているとか、血のつながりがあるとか、そういう直接的なつながり以外にも人は結ばれうる。今はそう思っている。

 

叔父の告別式。僕は今回遠いところに行ってしまった叔父とはあまり話したことがない。最近は足を運ぶことのなくなってしまった新年の親族の集まり、お通夜の後の食事、そんな時にしか顔を合わせない。けれど、少なくとも親戚のおじさんとして僕は認識して、体調を崩していると聞いた時は気持ちが暗くなった。弱いつながりなのかもしれないけれど、感情が揺れ動いたり、母が小さい頃に誕生日ケーキを買ってくれたであるとか、保育園に妹を迎えにいっていたという思わぬ人間性が自分の0.01%くらい通ずる部分があるんじゃないかととか叔父の生活に想いを馳せたりした。

休日出勤したのに、サボって漫画読んでた

金曜日の夜、草加健康センターで、サウナナイトに参加してきた。2ヶ月ぶり?くらいのサウナなので、ガンギマリした。参加人数限定だからか、スタッフの人のおもてなしがものすごく、外気浴スペースで休んでいる時にうちわで扇いでくれたりした。水風呂がバイブラで攪拌されてるから、温度計では13度だけれど、体感では10度台だ。いつも水風呂は1分も経たないうちに出るんだけれど、久しぶりのサウナだから水風呂もたっぷり味わおうと2分くらい入った。水風呂もちょっと長めに入った方が外気浴の時のととのい方が段違いだ。感覚が鋭利になって、雨の音が大きく聞こえる。久しぶりのサウナだから目がぐるぐる回り始める。バッドトリップ間際だけれど、ギリギリ持ちこたえて、ととのう。サウナでととのう度にクスリやるより絶対こっちの方が気持ち良いだろうなあと思ってしまう。アメリカのドラマでクスリやるシーンを見る限り、サウナでととのう感覚とクスリでぶっ飛ぶ感覚は一緒なのでは、と勘繰ってしまう。クスリなんてやったことないから真偽は定かではないが。

 

土曜日、親族の不幸を知る。ここ数年毎年のように親族の誰かが亡くなる。同年代の人に比べ、親戚の人数が多い方なのと、親族が比較的高齢な人が多いから仕方ないのだろう。幸田文の『黒い裾』を思い出す。内容なんてほとんど覚えていないけれど、葬儀の作法に徐々に慣れていく過程に心当たりがあった。読み返したいんだけれど、本棚になかった。誰かに貸したまんまだ。

 

黒い裾 (講談社文芸文庫)

黒い裾 (講談社文芸文庫)

  • 作者:幸田 文
  • 発売日: 2007/12/10
  • メディア: 文庫
 

 

夜、後輩とオンライン合評会をする。僕は後輩より本を読んでいないから体系的な知識はない。特に最近は小説を読んでいないから、〇〇みたいだ、とかこの描写が……みたいな話ができずにいた。基本後輩の意見に耳を傾ける。小説の細部を自分の言葉で説明して好きだと言えるのはすごい。会社員精神が身についてしまっているからかわからないが、今回の合評会で後輩の小説を読む時、描かれた世界が変じゃないかに囚われてしまった。描写された公園はあり得そうなのか(リアルっぽいかということではない)、土砂降りとはいえ、車から店に向かうわずかな距離で傘を差すのはなんでか、レトリックというよりは描かれた世界そのものが辻褄の合うようになっているのかがやけに気になってしまった。こういう自分の読みを言語化して合評会の場で伝えられるようにもっと創作に向き合ったり、細部にじっくり向き合ったりした方が良いんだろう。自分の小説については前回の記事で書いたので詳細は割愛する。

 

日曜、休日出勤をする。深夜に自分のブログに小説を投稿なんかしたもんだから、恥ずかしくて恥ずかしくて寝付けなかった。あとがきと称した言い訳もあわせて投稿して、予防線を張ったのに、たいして寝れない。昨日の合評会を通して、リライトしてえなあと思うが、同時に誰かの感想を求めている。

 

今日の休日出勤は、自分から上司に日曜出ます、と言ったので強制ではない。先輩と入れ替わりで自分の部署に移動してきた人へ仕事を引き継がなきゃいけないし、自分の部署の新人に仕事を振らないといけないので、色々整理する必要があったから出勤した。この1年でだいぶ社会人としての力量が上がったように思うが、課長が全然仕事を裁き切れていないのに若干イラつく。時間的に全部自分でできないんだから部下に仕事を振ればいいのにと思う。部署の評価が下がって、ボーナスが少なくなるのが嫌なので最近は仕事をぶんどって自分でやっている。明らかに自分の職権を越えているし、生意気なんだろうと思うが、周りの部署に明らかに迷惑をかけているので、やらざるを得ない。この状況が続くようであれば、転職してやろうと思う。

 

という思いはあるものの、寝不足プラス昨日の小説に対する反応が気になって仕事に手がつかない。ちょこちょこ長めの休憩を取って、電子書籍で購入した漫画を読む。今読んでいるのは、山口はじめ『ブルーピリオド』だ。

 

 

高校2年生の主人公が先輩の描いた油絵を見て、美大を志す。主人公の矢口は不良だけれど成績は優秀だ。要領が良いというよりは、きちんと必要な努力をできる人間というタイプだ。自分の意見を主張するよりは空気を読んで場が盛り上がるように立ち回ることができる。そんな彼が、先輩の描いた油絵に触発されて、選択美術の時間にオール明けの渋谷の青さを表現しようと色んな色を使う。

 

どうしたらあの

眠い空気の中の

少し眩しいような

でも静かで渋谷じゃないみたいな

1日の始まりのような

これから眠りにつくような

青い世界

(中略)

そうかも

するかもしれない

そもそもビルは青くない

でもそれも含めて好きなんだよ

…あ

好きなものを好きっていうのって

怖いんだな…

 

拙いながらも描いた矢口の作品は不良の友達に褒められる。不良とつるむ時は自分の意見を言わないから、自分を丸ごと肯定されたかのような気持ちになって、涙ぐんでしまう。この部分の描写が今の僕にビンビン響いてくる。好きな作品を好きっていうのは比較的楽なんだけれど、好きなものを表現するのはめちゃくちゃ怖い。好きな作品はすでに一定の評価がなされている場合が多いから、好みの問題で片付けられる。だが好きなものを表現する時はそれが否定されたら、自分の価値すら否定されてしまうようだ。

 

矢口はそのあと、美術部に入り、東京藝術大学に入ろうとひたすら努力しまくる。劇的に絵が上手くなることはない。周りの絵が上手い天才と未熟な自分を比べて悔しさを感じ、ひたすら描きまくる。夢中で漫画を読み進め、最新刊まで読み終わる。満足したけれど、1時間以上はサボってしまった。

 

けれど、やる気が出た。とにかく練習しまくるしかない、何事も。

 

 

 

久しぶりの創作に関するあとがき

大学の後輩に誘われてまあ暇だしと5年ぶりに小説を書いた。書きかけの小説は無数にあるが、書き上げたのは本当に5年ぶりだ。出来は微妙かもしれないが、感謝感謝。さっき合評会をして、自分のモテなさ加減がにじみ出ていることを指摘され、笑ってしまった。まあしゃあない。合評会の場で誰かの小説について発言したり、自分の小説を説明するのも苦手なのを思い出した。気を使わせてしまいそうなので、そもそも今回の合評会の場で自分の小説を説明する気もなかったけれど。数人しか読まないであろうこのブログにあとがきという形でダラダラ自分の小説について書こうと思う。

 

今回、テーマはVHS。VHSを物語の中で描こうとすると、どうしても昔を回想するような形になってしまうので、多少のノスタルジックさが出てしまうのが嫌だった。最終的に出来上がった小説にも多少の名残はあるが、偽書の体裁を取ろうと考えていた。ビデオというメディアで、庶民が初めて時間を巻き戻したり早送りする感覚を味わった、と僕は思っているから、ビデオを起点としたタイムトラベル史のまえがきをでっち上げたかった。だから最近発売された「時間は存在しない」をパラパラ読んだりした。

 

時間は存在しない

時間は存在しない

 

 

ただ文字数の制限があるのと、時間についての知識があまりに乏しく矛盾が生じそうで諦めてしまった。というのとは別に、物語をちゃんと書いてみよう、登場人物の感情を描いてみようという気持ちになっていて(今まではちゃんと書こうとしたことはなかった)、更にはボーイミーツガール的なものを書いてみたくなってしまい、途中からエンタメ感が強くなってしまった。書き終わってから冒頭の文章の温度感と中盤以降の温度感の違いをどう解消しようか、悩ましかったがうまく折り合いをつけられなかった。

 

タイムマシンが結局作中では出てこない。タイムマシンは強すぎるモチーフだから、出さないことに違和感を覚える人は一定数いるのは承知の上で書いている。物語の構造として、回想で過去に行き、いつか村崎に会うであろう未来を描き、最後は現在で出会う予感を描いて終わりにしたつもりで、タイムマシン自体はないが、時間の行き来があるので、薄くつながりをもたせたかった。それと、タイムマシンがもうそろそろできるであろう世界での日常を描きたかった。まだ想像の中でしかタイムマシンを思い描けない世界。別に後悔しているわけではないが、こういう世界になっているからこそ、主人公は小学校の頃に出会った女の子を思い出してしまうし、頭から離れない。けれど、過去に戻って会うよりは、会えなかった日々のことを話したい、と主人公は思うのだろう。タイムマシンができてもタイムトラベルしない男の物語を書きたかったのだろう、と今は思う。

 

固有名詞について。僕は固有名詞を小説に出しがちだ。今回はなるべく抑えめにしたかった。VHSの活かし方を考えたときにビデオカメラで撮ったテープを作中に出しても良かったのだが、テープを観る場面を思い描いた時にあまりに感傷的すぎたので、避けてしまった。(今思うとどっちにしても感傷的な雰囲気は出てしまった)

 

植物について。最近一輪挿しを姉からもらったから、花を部屋に飾っている。部屋に飾り始めてから、花なんか詳しくないけれど、ネットで花のことを調べたりする。主人公もきっとそうで、いつもは花の名前や花言葉なんか気にしないんだけれど、偶然もらった花のことを調べるうちに小学校の頃に出会った女の子と共通点を見出してしまうんだろう。中盤でも伏線が引けなかったので、唐突さが出てしまったのは己の力量不足だ。

 

会話について。昔書いた小説で会話がぎこちない、登場人物に人間味がないと友達に言われたことがある。だから、今っぽい会話にしようと心がけた。坂本裕二の脚本なんかを読み返してセリフにこだわろうとしたが、うまいセリフがひらめかなかった。坂元裕二の『カルテット』で自分が好きなセリフは「私もずるいし別府くんもずるい。でも寒い朝、ベランダでサッポロ一番食べたら美味しかった。それが私と君のクライマックスでいいんじゃない」

 

今回は、3,000字程度で書き上げたが、自分としてはもう少し丁寧に描きたかった場面があるし、物語の続きも書いてみたいので、20,000字くらいでしっかり描きたい。暇人は僕の小説の感想をラインでもなんでも送ってください。(貶しはなしで)

 

明日は休日出勤じゃ。

【習作】ミート・キュート

 どっかの誰かが未来の自分とばったり出くわしたらしい。未来のそいつは何本かのテレビに出演した後、消息を絶った。未来のそいつの消息について陰謀論者がネット上で喚いていたが、世間はそんなことに興味を示さず、タイムマシンの存在に色めきだっていた。未来から過去に来ることが可能ってことがわかっただけで、未来がどんな社会なのか何も明らかになっていない。たいしたことじゃない、と俺は思っていたが、科学は急速に発展し、数年後にはタイムマシンの試験運用が早ければ二〇年以内に開始する。未来人と出くわしたことでこの世界は時間的閉曲線へ移行してしまったのではないか。時間にまつわる謎を明らかにするべく世界中の学者が議論を重ねている。俺たちの生活もどこか変わっていった。タイムマシンができたら金は価値をなくすのではないか、とまことしやかにささやかれ、若い世代を中心に、享楽的に生活する人が増えてきている。ラブ&ピースを無邪気に信じていた一九六〇年代の再来と感じるじいさん、ばあさんも多いようだ。

 
 隣人の拙いアコギの音を聞きながら、ベランダの鉢植えに水をやる。細く伸びた茎の先から放射状に紫の花が咲いている。去年までは室外機しかないようなこのベランダに花がちょこんと咲いているだけでだいぶ印象が違う。姉から無理やり押し付けられて渋々育て始めたのだが、地道に水をやり続けていざ花が咲くとなると達成感がある。夕飯でも作るかと身体を伸ばして、気合を入れたが、隣人の拙いアコギの音はいつの間にか鳴り止み、喘ぎ声が聞こえてきた。恋人が家にいるのに、下手なアコギの練習をしていたのかという疑問とこの数分で性行為に及ぶ展開の早さに苛立つ。
 夕飯を作る気分ではなくなったので、朝返し忘れたブルーレイを返しに行く。レンタルショップで働いている梶本は俺の幼馴染で、怠け者だから俺とこうして雑談をする。
 「時田、またこれ借りたのか」俺の借りた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を受け取るなり顔をしかめる。
 「うっせえな、他に面白い映画ねえんだよ」
 「面白いもんないなら借りるなよ。というか面白い映画は腐る程あるぞ」
 「まあ、わかんだけどさ。去年の年末に未来人来たじゃん? 俺もいよいよタイムトラベルできるのかって思ったらタイムトラベルもの見たくなった」
 「まあなあ。ここ数ヶ月はテレビ見ても、合コン行っても、家族と会ってもタイムマシンあったらいつ戻るって話になるし」バーコードリーダーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のバーコードを読み取り、返却処理を完了させる。
 「タイムマシンあったらどうなると思う?」梶本がサボりモードに入っているので、遠慮なく時間つぶしに付き合わせる。
 「色んな人と話してわかったことなんだけど、ブサメンは可愛い人と付き合えなくなりそうだわな。同時代のイケメンだけじゃなくて、あらゆる時代のイケメンと比べられんだぜ? 俺たちはどうやって勝負していけばいいんだよ」梶本は大げさに頭を抱える。
 「勝手に同類にすんなよ。けれど、それは解決法あるだろ」
 「何々?」
 「運命的な出会いをすりゃいいんだよ。顔の美醜で勝負するんじゃなくて、その子に運命だって思わせればいい」
 「聞いて損した。そんなことできるんなら、タイムマシンのない今も簡単に彼女できるわ。お待ちのお客様、こちらのレジどうぞ」
 俺との話に飽きたのか、梶本はレジ対応の後、ブルーレイやらDVDを棚に戻す作業をし始めた。声をかけても、集中できんわ、と突き返され、店を出ざるを得なくなった。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズは百回以上借りている。もはや買った方がいいんじゃないかと梶本からも言われる。でも、俺は借り続ける。梶本にも言っていないが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を初めて借りた時、俺は同年代の女の子に声をかけられた。
 「私もそれ好きなんだ、見たら感想聞かせてよ」 
 小学生の俺は声をかけられて、びくりとする。VHSの入ったプラスチックケースを握る手にどっと汗が出る。その女の子は早口でやや声がうわずっていた。誰かのお下がりなのか毛玉の多いセーターにサイズの合っていない色の褪せたデニムパンツ。
 「別にいいけど」
 「じゃあ、来週の土曜日ね!」
 そう告げて、女の子は走って店を出て行こうとした。
 「ちょっと待てよ、土曜の何時だよ、場所もわかんねえし。つか名前は?」
 「私は村崎花子。小学校も学年も同じ。覚えといてよ。クラスは同じになったことないけど。そしたらー (何故か店の時計を見て)、朝の十時この店で! 早く帰って宿題やんないと金曜ロードショー間に合わないから、帰るね! バイバイ!」
 思考が追いつかず、俺は来週の土曜に会うことを断れなかった。モヤモヤしたまま、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を店で借りて家に帰る。
姉が部活で帰るのが遅いから姉の部屋で早速観る。そして興奮してその日は眠れない。はやくこの映画の面白さを村崎とかいう女と話したい。七泊八日で借りたが、毎日VHSのテープが擦り切れるほど見た。
 約束の土曜日。レンタルショップで集合した後、ジャスコに移動し、フードコートで話すことになる。村崎に負けないくらいのテンションで俺は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことを語りまくる。村崎もその熱量に対抗してか、色んな豆知識を披露する。あっという間に日は暮れる。
 「もうこんな時間?」
 「また会えばいいだろ。俺も次会うときまでにPart3まで見とくから」
 「うーん、そだね。また来週の土曜同じ時間で」
 それからというもの、毎週土曜日はレンタルショップに集合して、新作の映画を眺めてあーだこーだ言った後、ジャスコのフードコートでひたすら話し込んでいた。出会いはとても唐突だったが、村崎とは映画好きという共通項のおかげで一気に仲良くなった。仲良くなってから気づいたが、村崎は人見知りな性格で、あまり自分から話しかけることは少ない。でも、自分の好きな映画を借りようとする同じ学校の男の子を見つけて、思わず声をかけてしまったらしい。色んな映画の話、学校の話、家族の話、テレビドラマ、漫画、アニメ、……。色んなことを話しているうちに俺は次第に村崎のことを異性として意識するようになる。今までは気にしていなかったが、村崎のまつ毛の長さにどきりとする。早口で話す彼女をからかいたくなる。バレンタインに義理チョコとしてもらったチロルチョコは食べずに引き出しに閉まった。カレンダーにこっそり村崎の誕生日に丸を書いたりなんかする。六月十一日。どんなプレゼントをしようかなんてことを考えているとき、村崎は手紙を残して、急にいなくなる。親の都合でどっかに引っ越したらしい。学校でお別れ会すら開かれないほど急な出来事だった。手紙には「またジャスコで映画の話でもしようね」とだけ書かれていた。村崎がいなくなってからも俺は無意識にレンタルショップへ行ってしまう。村崎のことを思い出して少し息苦しくなるが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をついつい借りてしまう。

 大人になった今でもふと思い出して、facebookで検索をかけたりなんかするが、ヒットしない。村崎は人見知りだからfacebookも実名ではやっていないのかもしれない。タイムマシンができたとして、過去に戻って村崎に会いたいと思うんだろうか。過去の村崎にも会いたいが、急に会えなくなった日々に起きた出来事なんかの話をしたい。けど、きっと会えたならこういう会話をするんだろう。
 「久しぶり」
 「久しぶり」
 「最近、何の映画観た?」
 「見すぎてどれから話せばいいかわかんない」
 「時間ならいくらでもあるから、ゆっくり話そうぜ」
 「タイムマシンもそのうちできるしね。無限に映画観れるよ」
 「だなあ。タイムマシン買うならデロリアン型のタイムマシンがいいなあ」
 「わかる! 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』また観たくなってきちゃった」
 「じゃあ、うちで観る?」
 「え? 時田くんち行っていいの? 部屋めっちゃ汚そうじゃん」
 「めっちゃ綺麗にしてるからね。ベランダで花育ててるし」
 「うそ! 意外! いやー、これは女でもできたなあ?」
 「さあ、どうだかね」
 「あっ、嘘だね」
 「嘘でも何でもいいじゃん。綺麗だったら」
 「それもそっか」

 家に帰り、夕飯を作る。ベランダの方をぼんやり眺める。ベランダで育てている花の名はアガパンサスという。無償の愛を意味するアガペーと花を意味するアンサスをもじって名付けられたらしい。ロマンチックすぎるだろ、と独りごちていたら、インターホンが鳴る。「ちょっと待ってくださいねー」と玄関へ向かう。夏が近づいているからか、手の汗がやけに気になる。