on the road

カルチャーに関する話。

ジョーダン・ピール「NOPE」感想メモ

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写真や映画には、見たいという欲望を叶える性質が少なくともあった。エドワード・マイブリッジの馬の走る様子を映した連続写真は、馬がどう走るかを記録するために撮影された。

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ジョーダン・ピール「NOPE」のエメラルドは、この連続写真こそが最古の映画であると主張する。あまりに有名なエドワード・マイブリッジの連続写真に写っている黒人の騎手の名前は全く知られていない。

 

映画の誕生以降、大衆の見たい欲望は拡大し続け、一方で忘れ去られた黒人の騎手のように見られる側はないがしろにされ続ける。作中の「ゴーディ 家に帰る」というシットコムではチンパンジーのゴーディがふいに激情し、演者を襲う。見る/見られるの関係性の反転。

 

Gジャン(作中のUFO)の底の大きな目を見る/見られるの関係性の象徴として考えることはそう難しくない。中盤くらいのシーンでGジャンが去って行った後に満月がぽつんと浮かぶシーンに、映画の創世記の作品のひとつであるジョルジュ・メリエス月世界旅行」を想起してしまう。

 

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月世界旅行」のあまりに有名な、人間の顔をした月の片目に天文学者を乗せた弾丸が打ち込まれるシーンも、実は見ることの搾取性に関する表現だったのではないかと考えてしまう。


終盤の展開に胸が熱くなってしまうのは、作中のキャラ達が見ることの搾取性に気付き、おびえながらもそれでもGジャンを撮影してやろうと、立ち向かっていくところ。それが世界を救うためではなく、有名になって一山築いてやろうという動機だとしても、終盤の展開は映画の肯定であると感じてしまった。

 

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奇奇怪怪明解事典がいちばん興味を引く紹介していると思います。(ネタバレ多いけど、そういうの関係ない映画なので大丈夫)

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これは何のメタファーなんだ、と想像を巡らすことが楽しい映画。小難しいことは置いておいて、IMAXレーザーGTで見ましょう!

残りもののカレー

金曜、友達にビールが半額だからと誘われて、神宮球場へ行った。お昼に後輩とご飯を食べているときに、「明治神宮に野球を見に行くんだ」と話すと、変な顔をされた。神宮球場のことを明治神宮と言い誤ってしまったことに気付き、慌てて訂正する。

 

本当は早上がりするつもりだったけれど、打ち合わせが長引いてしまい早上がりすることは叶わない。一緒に行く友達もプレイボールには間に合わない。社会人生活もそろそろ中堅と呼んで差し支えないくらいになっていて、突発的な業務が発生したら対応せざるを得ないんだろう。残業という言葉は単に「定時後に残って業務をする」という意味であるはずなのに、"残"という文字がお前はまだ仕事が残っているんだろうと会社側の冷たい視線を想起し、主体性を奪われた気になる。残業中の雑談は楽しいけれど、生産性はきっと良くない。

 

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今週夜更かしをして、「三島由紀夫vs東大全共闘」を見た。1969年5月13日、東大駒場キャンパスの900番教室で三島由紀夫と東大全共闘公開討論会が繰り広げられていた。学生の問いかけに三島は真摯に応じていくが、討論はむなしく空転していく。東大全共闘の論客のひとりとして登場する芥正彦の主張は詭弁としか思えなかった。三島を言い負かしてやろうと、論理より言葉の鋭さを選んでいた。

 

太平洋戦争の頃の若者は国の行く末に自分の生死が左右されるという経験を持っている。お国のために命を落とすことが一種の美学ですらあった時代に終戦を迎え、生き残ってしまった者はどのように自分の価値観に折り合いをつけていくのか。三島の思想の変遷を読み解いていきたい気持ちになる。

 

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今週はスペシャルウィークマヂカルラブリーのANN0のゲストにONE PIECE考察系YouTuberであるもっちー先生が登場していた。「ONE PIECE」考察がここまで大きいコンテンツへ成長していることに驚く。なぜ「ONE PIECE」にそこまで夢中になる人が増えているのか。その理由のひとつとして、「ONE PIECE」は次世代に意思を受け継いでいく物語であるからだと言い切ってしまいたい。

 

世界政府に隠蔽された、ポーネグリフに刻まれた空白の100年の歴史。それを読み解こうとしたオハラの学者達はロビンを生かそうとした。ドクタードリトルは人が死ぬときは人に忘れられたときだと叫び、黒ひげは人の夢は終わらねえと馬鹿にする者どもを笑い飛ばす。103巻でもいまだに明かされないその歴史の全貌や先人の意思を夢中になって考察してしまう。

 

最新話まで読んでから、第1話を読み直していくと、ルフィの初登場時、ルフィのTシャツにリレーの最終走者という意味のANCHORという文字がプリントされていることに胸がアツくなる。

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もうすぐ29歳になるからか、結婚する同級生の友達が増えてきた。ライフステージが上がっていて、家庭の話なんかが話題になっていく。昼までぐだぐだ寝てばかりの僕はすっかり取り残された気分になる。「東京タラレバ娘」を読んでこの人達は何をこんなにあせっているんだろう、という気になったが、今は少しわかってしまう。何回も登録しては放置していたマッチングアプリをやってみる。いいねが届くと承認欲求が満たされる。MONO NO AWAREのイワンコッチャナイという曲の「彼女のすり減らした親指にキスを」という一節が好きで、いいねを繰り返す行為をこう表現できるんだ、と感心したことを思い出す。

 

渋谷で奇奇怪怪明解事典のイベントを見に行く約束をした。渋谷でデートって何をすればいいんだ?という話を飲み会で聞こうかと思ったけれど、みんながライフステージが上の話をあまりにするものだから、話し出せなかった。僕のことを無口だという人が多いが、自分をさらけ出す勇気がないだけだ。ブログだとギリギリ自分のことを書ける。内弁慶の極み!

 

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試合の内容はよく覚えていないけれど、ビールはおいしくて、その日のうちに頭痛がする。翌日には頭痛は残っていなかったけれど、土曜日を半日つぶしてしまう。お腹が空いたので、残りもののカレーを温める。

ロロ「ここは居心地がいいけど、もう行く」

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いつ高シリーズは2021年の「ほつれる水面で縫われたぐるみ」「とぶ」で完結したが、またいつ高シリーズを見れるとは思わなかった!

 

三浦さんの自作解説で書いていたことが形を変えて叶ったということで良いんだろうか。

(逆)おとめとシューマイと白子の物語はまだ「いつ高シリーズ」で描ききれていないので、「いつ高シリーズ」という冠を外して、近いうちに書こうとおもっている。

 

lolowebsite.sub.jp

 

左右で舞台が別れている。空間を隔てているけれど、時折空間を軽やかに(スーパーボールが跳ねるように)、またいでしまうのを見ると、演劇って楽しいなと思わずニヤニヤしてしまう。左右両方とも学校の屋上に続く階段の踊り場が舞台で、屋上は窓に映る影で何となく想像できる。

 

文化祭当日、喜劇研究会のひとりが熱で休み、ダブチと机田のふたりでできるネタを急遽練習するシーンから始まる。ショートコント「タイムスリップ」*1。2週間後の自分がやってくるというコントだが、本作はいつ高シリーズから23年経過していて、高校生だった(逆)おとめ、白子は40歳。(逆)おとめはすっかり社会人然としているし、白子は明るいけれど、災害用のホイッスルを首から提げている。実家暮らしで親の視線に嫌気が刺し、家出をした白子は楽しかった高校時代にしがみつくように旧々校舎の屋上に続く階段の踊り場で生活する。

 

もうひとつのコント「ゴミ捨て」では彼女との思い出の品を分別して捨てる。最近のロロ作品は、思い出をそのまま抱き締めるのではなくて、記憶違いを起こしたり、忘れてしまうことも肯定しているように思う。(逆)おとめと白子の出会いのエピソードも白子は曖昧に記憶している。(電話番号をずっと覚えていたのに!)

 

でも、忘れてもなかったことにはならない。高校時代に半径100mしか聞けなかった(逆)おとめのラジオの音源は残っている。誰にも聞かれなかったかもしれないラジオをエイリアンが聴いて、知らない間に地球を救っていることだってある。

 

屋上に続く階段の踊り場という微妙な舞台でダブチと机田がやるコントもきっと誰かが見て、思い出として残っていく。

*1:今の自分とあまりに違いすぎるという設定にラバーガールのコント「過去から来た男」を少し思い起こしたのは僕だけか

生活リズムをぶっ壊すお盆休み

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今年のお盆休みは6連休で、予定が何もなくだらだらと過ごしていたが、例年の夏と違い、喫茶店で時間を潰すことが増えた。社会人の多くがもしかしたらそうなのかもしれないが、家は生活するための場所というより寝るための場所だと身体が記憶していて、終始眠気が襲ってくる。睡魔が家に棲みついているに違いない。睡魔に対応する英語が存在しない。欧米圏では眠気に抗う気持ちが薄いのか。

 

お盆休みの3日目だったか、台風が過ぎ去った後、午前中に洗濯機を回そうとするが、洗濯機の下部からカラカラと金属音が鳴る。まだ買って半年なのに、とげんなりする。午後にはどこか遊びに行こうと考えていたから、出鼻をくじかれてしまった。修理を頼むが、お盆の時期だからか、すぐには修理の人は来てくれない。1週間弱くらいは近くのコインランドリーを使う。コインランドリーをたまにしか利用しないから、利用するたびに料金の高さに驚く。コインランドリーを回している間、文庫本を読んで待っている姿に憧れるが、あまり落ち着かないから家に帰って、ご飯を食べて時間を潰す。

 

ちょうど今日、修理の人が来て、部品を交換してもらい無事に直る。保証期間内なので、修理費用は無料ですんだ。原因は洗濯物の入れすぎ。洗濯槽の6~7割くらいまでしか入れてはいけないみたいで、洗濯槽いっぱいに洗濯物を入れると水を吸って重くなった洗濯物に洗濯機の下のモーター部分が耐えられなくなったらしい。みなさん、気をつけてください。

 

ここ数年でいちばん何もしないお盆休みとなってしまった原因は、アプリゲーム。広告でVampire Survivorsのパクリみたいなローグライクゲームの存在を知り、インストール。1プレイ最大15分なので、時間を無限に費やしてしまう。しもふりチューブに感化され、クイズがやりたくなり、みんはやもインストールし、同じく時間を無限に費やす。生活リズムが崩れてしまい、午前中はずっと寝ていて、午後も二度寝、夜はアプリゲームを無心でやる、というだめな大学生みたいな生活をしてしまう。

 

先週くらいから霜降り明星のANN、オードリーのANNを聞くようになる。粗品が4連休で北海道旅行した話にほっこりする。家族サービスする粗品を全く想像できないけれど、赤ちゃんが寝てるから、ホテルマンに部屋をノックしないでくださいとお願いする描写にもうパパなんだなと思い知らされる。オードリーのANNで家にプリンターがあることはすごい、という話を冒頭でしていて、こういう生活の中の気付きみたいなものに触れられるのがオードリーっぽさあるよな、と思う。最近の学生はノートを貸す、という文化がなくて、LINEでノートの写真を送る、という行為に取って代わっている、という昼のラジオを聞いているときみたいな発見も心地よい。

 

今まで聞いていたラジオでは耐性ができていたのに、新しいラジオ番組を聴くと笑いが我慢できなくなるという経験は多々ある。スーパーでの買い物中に春日が久しぶりに髪を切った話で久しぶりに吹き出してしまうくらい笑ってしまう。マスクをしていてよかった。

 

spotifyの奇奇怪怪明解事典で、オンライン会議はなぜ盛り上がらないかという話をしていた。デジタル空間は情報を圧縮して相手に伝えることに向いていて、情報交換のみにフォーカスされて、脱線しにくい。時間に追われているときのオンライン会議はすぐに終わらせることができることにメリットを感じるけれど、オンライン飲み会の盛り上がりのなさ、心の底から話していない感はたしかにあって、一長一短ある。オンライン会議しているときは、自分の顔を見ている時間が長くて、常に自分を客観視している状態になってしまう、という指摘は鋭い。電話をしているときの相手との近さに比べて、オンライン会議するときのよそよそしさはそれが影響しているのか。

 

ちょっと前のSessionで放送部特集をやっていた。荻上チキさんが浦和西高校出身だったことにも驚きつつ、特集を聞いて、放送部に入ってみたかったと思う。最近、友人におすすめされて、YouTubeで「深夜のラジオを聴き続けて放送委員になった奴」を聞いていたから、尚更だ。永遠にpodcastをやりたい欲が湧き上がるので、誰か背中を押してほしい。

 

お盆休み明け、自分のデスクには帰省した人たちのお土産が積まれている。長期休暇明けの憂鬱が多少紛れるので、このお土産を買う文化は絶やさないでほしい。うちの会社では職場での誕生日プレゼント、バレンタインデーのプレゼントは禁止されている。セクハラ、パワハラが発生する要因になってしまうかららしい。こういうことを見聞きするたび、職場とプライベートをはっきり区別されてしまうことの功罪を考えてしまう。職場の人にプライベートをずけずけ踏み込まれるのには抵抗はあるにはあるが、賃金をもらう場所として割り切るにはあまりに多くの時間を費やしているので、コミュニティとしての一面が完全になくなってしまうのはどうなんだろうか、と思う。

 

仕事終わりの時間を有効活用できる人の生活リズムを知りたい。家に帰るのがだいたい19時半~20時半くらいなのだけれど、もう体力を使い果たしていて、ご飯食べてお風呂に入ったら、もう何かをする気力がなくて、スマホをだらだらイジって寝る、ということが続いている。帰りにファミレスに寄って読書かブログを書けたら良いなとは思うが、ワイシャツをはやく脱ぎ捨てたいし、帰り道にファミレスがない。1日2~3時間、やりたいことをやる時間を捻出するテクニックを教えてほしい。

3年ぶりの……

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コロナ禍で2年連続中止になっていたバナナマンのライブの配信を見た。

 

バナナマンのコントは一人二役演じる系のコントが代名詞だと思う。小道具ひとつで職業も性別も変わる演出とそれを観客に理解させる演技力がずば抜けている。一本目のネタは、教会を舞台にしていて、最後の日村さんのセリフに込められた祈りについて、カーテンコールの際に設楽さんが話されていたが、めちゃくちゃ伝わってますよ、と直接伝えたい。全体的に売れっ子でめちゃくちゃ忙しいふたりが感じている責任みたいなものが少しずつコントの中に織り込まれているように感じた。あー、バナナマンのライブはお笑いというより今バナナマンがどんなことを表現するのだろうか、ということに興味があるのかもしれない。(ブルーベリーのネタが面白かったです)ふたりのコントの黄金期はゼロ年代後半だと思うが、こんだけ忙しいのにコントを作り続けてくれるふたりに感謝したい。

 

なぜか今日も1日仕事をしている。もうそろそろ夏季休暇に入るから、自分だけ異様に日曜出勤していることには目を瞑る。在宅勤務の時はノルマをこなせたら、家事をやるスイッチが入っているので、夕方からカレーを作り始めてた。自炊しようと思ったときにカレー作る割合が異様に高い。そろそろ自炊のバリエーションを増やしたいが、平日夜遅く帰ると自炊する気にならない。帰り道にくら寿司があって、週一のペースで店に吸い込まれてしまう。食事の時にいろんな味を楽しみたいタイプだから、残業で腹を空かせた身体に回転寿司は最適解となってしまうのだ。回転寿司でハンバーグとか回転寿司でしか食べられないネタを食べるのが好き。

 

エンゲル係数が爆上がりの予感なので、なんとか生活を立て直したい。そのためにコロナの感染者が少なくなることを切に願っている。

 

知り合いにおすすめされた「石子と羽男」がめちゃくちゃ面白い。TVerで2,3話が見れなくなってしまっていたので、paraviを契約して、在宅勤務中に垂れ流していた。東大卒のパラリーガルと高卒の弁護士のふたりが日常にひそむ事件を解決していくリーガルもののドラマで、扱う題材が喫茶店での充電、子供のアプリ課金、ファスト映画……、とタイムリーで身近な話題を扱っている。撮影や演出がとても良くて、さすがドラマのTBS…、と思いながら見ていたが、どのエピソードも中盤から終盤の展開に一捻りあるのがとても良い。ファスト映画でファスト映画を作成した被告人が監督に謝る場面で、監督は感情を表に出さないけれど、被告人を許さないという展開が痺れた。加害者側を過度に美化せず、やってしまったことの取り返しのつかなさがちゃんと描かれているのが真摯。

 

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ブラックキャップで結界張ってる

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コロナの新規感染者数が過去最大レベルで推移している。重症者の数が少ないから過去2年の夏と比べて自粛しようというモチベーションは下がっている。さすがに夏休みを自宅療養で過ごしたくはないから最近は友だちと遊ぶ予定を入れていない。

 

感染リスクは過去最高なはずで、感染してしまえば、10日間(無症状の場合は7日間)休まざるを得ないから、在宅勤務をもっとしていたいのだけれど、古い体質の会社なので、ほぼ事務所に出勤して、弱い冷房の中、仕事している。

 

最近、在宅勤務にするのはオンラインの社内研修があるときや休日に仕事するときくらい。午前中は大抵洗濯機回して、掃除機かけてる。暇な時はお風呂掃除をがっつりやる。事務所にいても、雑談して仕事していない時間はいくらでもあるから、生産性は落ちていない(ことにする)。

 

今の家にひとり暮らしを始めてまだ半年くらいで、幸いなことにゴキブリには遭遇していない。1階に住んでいるので、ゴキブリが侵入してきやすいということに最近気がついて、ブラックキャップを買った。ひとり暮らしの家に何個置くのが平均なのかわからないけれど、ブラックキャップの袋をあけたら、においが強かったので、一度に使い切っちゃおうと部屋の隅々に設置して、それでも余るから、ベランダにも何個か設置した。設置し終わると我が家に魔法陣が錬成された気分になる。このブラックキャップの結界で今夏を心穏やかに過ごしたい。

 

4月にワンピースを電子で大人買いしてしまった。ワノ国編が激アツと聞いて、今が良いタイミングかもと大人買いをした。久しぶりにイーストブルー編を読み返して、ワンピースって王道漫画と言われながら、修行シーン全然ないなと思った。

頂上戦争の後の2年間の修行でがっつり修行するまでは修行シーンにがっつりコマを割くことがないのに、ルフィ達があまり違和感なく成長してるのは他の少年漫画にはなかなかないような気がする。

 

今のワンピースを取り巻く環境は僕がリアルタイムでワンピースを読んでた10年前とだいぶ違うように思う。話が進み、いまだ明かされない謎(ワンピースの正体、シャンクスの正体、黒ひげの正体などなど)について、現在判明している情報や神話等をもとに考察が行われている。ワンピースのタイトルロゴや扉絵、裏表紙まで隅から隅まで読み込まれ、考察される熱量に驚く。休載明けからは最新話が公開されると生配信で配信者が読み、視聴者と考察もなされている。ワンピースというコンテンツが一段と活気付いていて、ここから最終章に向かって、伏線が怒涛のように回収されたら、どんなことになっちゃうんだろうか。

二度寝の過剰信仰

安いスマートウォッチをつけて寝るようになった。入眠時間や深い眠りがどれくらいできているか、を朝起きてアプリで眺める。寝付くのが異常にはやい、深い眠りの割合が高まらないなあなんてことを思いながら朝の支度をする。一人暮らしを始めてから、朝の時間を有効活用できなくなっている。前は早起きして、前日の深夜ラジオを聞いていたけれど、ギリギリまで惰眠をむさぼる。朝型の生活リズムにしたくて、アラームは早めに設定するが、二度寝の誘惑に負ける日々だ。二度寝の効用を過剰に信仰しているわけではないのに、朝になるともっと寝ておいた方が良い、とベッドに沈み込む。

 

夜、寝る前、漫画アプリで異世界転生ものを読んでいる。偏った思想を持っている主人公が一定数いて、なんでこんな危うい人が異世界に転生されてしまうのかと心配になるけれど、権力を振りかざす者たちがこれでもかと痛い目に遭う様に若干胸のすく思いを感じてしまうのも否めない。いびつな現代の勧善懲悪ものだ。異世界スローライフを送ったり、ラブロマンスを繰り広げたり、勧善懲悪ものだけが異世界転生ものというわけではもちろんない。

 

そんなに仕事中スマホをいじっているわけではないけれど、家に帰るとスマホの充電が30%を切っている。だから寝る前にスマホをいじろうとしたら、充電ケーブルをつなぎながらになる。「違国日記」のある一コマでコンセントのちかくにふとんを敷いて、充電ケーブルとつないでいる様子が描かれているんだけれど、犬小屋でリールにつながれている犬をなぜか思い起こしてしまった。充電ケーブルは寝る前の自分の行動範囲を限定している。

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風呂上がりはぐてーっとすることが多いけれど、肩こりがあまりにひどいからYouTubeで動画を見ながら、ストレッチをしている。マッサージよりも自分でストレッチをした方がちゃんとほぐれるように感じる。マッサージに行っても解消されなかった痛みが5分程度のストレッチで少し解消される。

 

銭湯にあるマッサージでおじさんに力強くマッサージされると、正直激痛が走っている。この痛みがこりの解消につながるなら、と力加減はいかがですかと聞かれても、ちょうど良いですと強がる。マッサージに行ったときにだいぶ張ってますねと言われると、なぜか「仕事大変ですね、お疲れ様です」に脳内翻訳されて、少し嬉しくなる気持ちを感じてしまうのは僕だけだろうか。

 

会社の休憩スペースを改装することになって、11月くらいまでよく使っていた自動販売機が使えなくなってしまった。毎日のようにアイシースパークを飲んでいたのに飲まなくなった。coke onのアプリのヘビーユーザーだったけれど、そのせいで数週間coke onアプリを起動していない。会社で疲れたなあと思ったら、ビルを出て近くのコンビニでデザートを買いに行く。節電に律儀に協力しているから、僕のいるフロアーはめちゃくちゃ暑い。涼しいところといったら、コンビニしかない。自分のデスクでシュークリーム食べている社員は自分以外にいないと思う。最近は夕方に干し芋をむしゃむしゃ食べている。あまりに干し芋を食べているからか、茨城県出身の先輩が茨城県産の高級な干し芋を買ってきてくれた。茨城が干し芋の特産品であることをそのときに初めて知る。

 

同期との飲み会の時に最近会社で干し芋を食べていると言ったら笑われた。干し芋を会社で流行らせて、笑い話じゃなくしてやりたい。が、自分きっかけで何か流行った試しはない。

 

そういえばいつかのバナナムーンGOLDで設楽さんが言っていたけれど、干し芋って絶対に1日で食べれる量じゃないのに、チャック付きで売られていないのは何でなんだろう。干し芋メーカーの方、改善を求めます。