on the road

カルチャーに関する話。

Y先生やW先生のこと。

最近、小説を終わりまで読むことがなかなかできず映画をゲオで借りて寝る前に見たり、漫画を古本屋で読み、CDをタワレコで買い、お金がないときはバイト先の先輩から借りて聴いていた。

本を読めなくなる時期というものが定期的にくる。その時期に本を読んでも、何も響かない。ただイメージが上滑りしてしまう。小説を早起きして時間があるときに読む新聞記事みたいなものとして読んでしまう。ただ知識や記憶の蓄積のために読んでしまう。

そう読むとどうしても人に感想を伝えるとき、あらすじだけを伝えることになる。それは読んだと言えるのか。読まずともブクログ読書メーターなどでユーザーの感想をチェックして得る情報と同等の価値しか持ちえないのではないか。

読書会を何回か行い、小説を書いたことで感じたことなのだが、小説を読むこと、小説を書くこと、小説について語ることがどれかひとつだけこなしたとしても上達しない。

小説をたくさん読んでいる人が、うまい批評を書けるかと言ったらそれは違う。小説について語ることは読むときと思考のプロセスが違うからで、小説について読み終わった後から小説を語るのではなく読んでいるときに感じる小説の運動を語ることでしかうまくならない。そういうことは保坂和志がずっと言っている(と僕は思っている)。

 

ある演習の発表で山川方夫『夏の葬列』の中で使われている「こちら」という言葉が、読者を指しているのだと、言っていた。

 

 正面の丘のかげから、大きな石が飛び出したような気がしたのはその途中でだった。石はこちらを向き、急速な爆音といっしょに、不意に、なにかを引きはがすような烈しい連続音がきこえた。「カンサイキだあ」と、その声はどなった。

 

『夏の葬列』を既に読んでいる方は分かると思うが、「彼」は疎開児童として住んでいた海岸沿いの小さな町に久しぶりにやってきた。町並みはすっかり変わっていて、しかし偶然見かけた葬列を見て、子どものころを思い出す。子どもの頃、同じく疎開してこの町にやってきたヒロ子さんと葬列を見かけいく時に空襲に襲われてしまう。そのシーンの引用である。

「彼」は「おれ」とも小説の中で書かれており、発表者はそこに視点の揺れ動きを見出した。また、その揺れ動きを観測できるのは読者だけであり、「こちら」という言葉づかいは読者への目配せだと、発表を進めていった。「彼」=「おれ」の罪の意識の共有、読者に対する戦争への当事者として参加させる意味があるのだそうだ。

 

語り手とか視点とかという言葉をあまりに安易に使われがちで、好きではない。発表者は、「こちら」という言葉が語り手である三人称の「彼」が使うのは不自然であり、とするならば読者の方向を眼差しているのだとしているが、それは本当か。

三人称といえど、「彼」が一人称的性格を帯びることがあるはずだし、「私」がちっとも一人称的でなく、三人称的に書かれていることだってある。

今回の『夏の葬列』の「彼」と「おれ」の使い分けは明確で、「おれ」と書かれているときは独白しているときに使われる。「彼」と「おれ」と使い分けていて、「彼」が客観的文章、「おれ」が主観的文章と区別して読むのはあまりに単純だし、『夏の葬列』を読んでいない。「彼」と書かれている部分を見ればすぐわかる。

 

 やがて、彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、芋の葉の臭いがする。よく晴れた空が青く、太陽はあいかわらず眩しかった。海の音が耳にもどってくる。汽車が、単調な車輪の響きを立て、線路を走って行く。彼は、ふと、いまとはちがう時間、たぶん未来のなかの別な夏に、自分はまた今とおなじ風景をながめ、今とおなじ音を聞くのだろうという気がした。そして時をへだて、おれはきっと自分の夏のいくつかの瞬間を、ひとつの痛みとしてよみがえらすのだろう……

 思いながら、彼はアーケードの下の道を歩いていた。もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。

 

最後の場面であるが、「彼」から「おれ」へ移行する際、客観的文章から独白へ変わるという印象はない。「彼」と「おれ」のあまりにスムーズな移行を読めば、そのような区別はなく、「おれ」は独白という形式であるときのみに登場する人称であるが、「彼」と本質的な違いもなければ視点の揺れ動きもない。

下線を引いた部分は風景描写であるが、「あいかわらず」「戻ってくる」「単調な」という言葉は果たして客観的なのか。ヒロ子の死、彼女の死によって気が違ってしまった小母さんの死に対する「彼」の罪の意識は、この二つの死が永遠に続くだろうと感じている。その「彼」の罪の意識を経由した風景であって、その風景には「彼」の気持ちが投影されてしまっている。それのどこが客観的なのか。

べったりと主体の気持ちが張り付いたまるで一人称のような「彼」が「こちら」という言葉を使っても不自然ではないと僕は思う。

 

さて、ここまでただ小説を読むだけでは小説を語れないということを言いたくて、演習の発表の例を挙げた。発表者の力量不足ということを言いたいわけではなくて、読むことと書くことが違うということを言いたいのだ。

読むときには「彼」と「私」の差はそこまで重要ではなくて、名前が明らかになれば、「彼」や「私」としてではなく、その名前の中で生きる。大江健三郎の『万延元年のフットボール』が一人称小説だということを記憶している人がどれだけいるのか。

しかし書くときには「彼」なのか「私」なのか、というのは極めて重要な問題となる。「彼」と書けば「彼」の心情をなかなか書けないし、「私」と書けば心情が駄々漏れる。『夏の葬列』であれば、「彼」と書き、独白を「おれ」と書き進めていくことで、同じ対象を描いているわけで、「彼」と「おれ」は似ていく、ないし書き手の中で等価になる。(この問題系は後で詳しくふれる)

書くことの生理を感じていれば、きっと「彼」と「おれ」が固定的に使われず、もっと自由なつかみどころのないものだと気付くのではないか。

 

で、大きく回り道をしたが、僕は昨日保坂の『小説の自由』を読み終えて、そのときに感じたことを書きたくて、ブログを開設した。

保坂の小説論三部作を買い揃えてから、いまだに読み終えてなくて、小説を読む頭にするために読み進めようと思ったのだ。

保坂の文章の熱っぽさが好きで、特に小説論は結論というよりも思考のプロセスを大事にしているところが良い。

塾で数学を2年半くらい教えて感じることと昨日読んだ部分と重なったのでまずはそこから書いていきたい。本当に数学的思考能力を身に着けるためには、パターンややり方を覚えるだけではだめなんだということで、関数や図形の入試問題はそういうやり方では解けない。

解き方がわからない問題をどうやって解くか。図形の問題は「センス」だというひとことで片付けられてしまうがその「センス」はどうやって身に着けられるのか、本当にいきなり正解を導き出す手順を見つけ出すわけではなくて、まずすべての辺の長さであったり、角度を出してから考える。その時何パターンかシミュレーションをする。「もしここに補助線をひいたら……」「もし補助線をひいて出来たこの三角形とこの三角形が合同だったら……」「補助線をひいて出来た四角形が平行四辺形だとしたら……」と仮定を積み重ねていかなければならない。解説を一生懸命読んでも、数学的思考能力は養われない。解説を読んでも、問題を解くときの頭の使い方はできない。

数学的思考能力とはいかに多くのパターンのやり方を見いだせるかということだと最近思う。またいかに断定せずに仮定の状態で考え続けられるか。『小説の自由』の中にもそのことを別のプロセスを経て言っていた。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』での証明の導き方である。僕も中学生のころに読んでいて、断片的にしか覚えていないが、そういう思考法がそこに既に書かれていた。

 

 フライは、もしフェルマーの最終定理が成り立たなければどうなるんだろうかと考えた。つまり少なくとも一つの解があったらどうなるのかを調べてみたのである。(中略)

 言い換えると、フライの論理は次のようになる。

 

(1)もしもフェルマーの最終定理が成り立たなければ(そしてその場合に限り)、フライの楕円方程式が存在する。

(2)フライの楕円方程式はきわめて異常な性質をもつので、モジュラーではありえない。

(3)谷村=志村予想によると、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。

(4)ゆえに谷村=志村予想は成り立たない。

 

さらに重要なのは、フライの論理は逆転させられるということだ。

 

(1)もしも谷村=志村予想が証明されれば、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。

(2)もしもすべての楕円方程式がモジュラーなら、フライの楕円方程式は存在しえない。

(3)フライの楕円方程式が存在しなければ、フェルマーの方程式は解をもたない。

(4)ゆえに、フェルマーの最終定理は成り立つ!

 

背理法で進んでいくこの論理は、日常でなかなか使わない類のものだ。日常だったら、もし○○だったら××しようで終わるけれど、仮定の状態で考えを進めていくこと、それはさっき書いた図形の例と似ているし、将棋の考え方と似ている。将棋は相手の指し手の膨大な可能性を考えて、最善手を打っていかなければならない。いかに相手がこう駒を打つと決めずに可能性をすべて考えていけるかが重要だ。

 

難しい小説を読んでいるときには、決めつけて読むことが出来ない。金井美恵子の『柔らかい土をふんで、』の最初の一文もそうだ。

 

 柔らかい土をふんで、そうでなくとももともと柔らかいあしのうらは音など滅多にたてずごく柔らかなふっくらとして丸味をおびた肉質のものが何かに触れる微かな音をたてるだけなのだが、固いコンクリートや煉瓦の上や、建物の一階部分だけ正面の壁と床にチェス板のようにだんだらに張った灰色と黒の大理石-小さな三葉虫の化石の断面が磨かれた石の表面に浮かびあがっていることを教えてくれたのは、一週間おきに日曜日ごとの午前中に清掃会社から建物の廊下と窓を掃除にくる青い色のつなぎ服(襟のところに赤い線があって、胸に赤い色で会社の名前がローマ字で書いてあるのだが、それをわざわざ読んでみたことはない)を着たカタコトの日本語を喋る青年だったか(いつもカセットで台湾語か中国語の流行歌手の歌う歌をヴォリュームをあげてかけっぱなしにしていて、それは時々、知っているメロディーのことがあり、夕方散歩に出て気がつくとその歌を-あいたい人はあなただけわかっているのに心の糸が結べない-口ずさんだりしていることがある)それとも新聞配達の青年だっただろうか-には三葉虫の形がきれいに浮かびあがっていて、夏でも冷んやりとしているのだが、固いコンクリートの上や大理石の上を歩く時には、前肢の爪を物をつかもうとする時のようにいくらか広げて伸ばし気味になるので、微かにカチカチと鳴る乾いた音、薄紫がかった中が空洞になって幾重にもキチン質の組織が重なった半透明の小さな鉤爪の先端が固い床に触れる音をたてるのだが、今は柔らかい湿った赤土のように見える散りおちた赤茶けた松葉の湿った土地の上を忍び足ではなくゆったりとして落ち着きはらった足取りでゆっくりと歩いて-湿っててザラザラしたオレンジ色の鼻孔を少しふくらませ白く光っているヒゲの先に小さな水玉をきらめかせながら-猫がやって来るのが見え、朝日のあたっている煉瓦で周囲を敷きつめた池のはたでたちどまり、煉瓦一個の横幅分の高さの縁が、長方形の丁度畳で三畳分の大きさの姫睡蓮の葉の浮ぶ池の周囲にはあり、夏の夜になると、青白いぼうっとした生ぬるい水のような色をした棒状の誘蛾灯が池のほとりにともされるのだったが、淡い桃色の幾重にも重なった花弁は先きの方では微かに緑色がかった青味をおびて白くなり萼(がく)に近いあたりは赤紫色の筋が毛細血管のように細かに分岐し、底に泥の溜まった池の水は、煉瓦敷の地面の下に埋め込まれた管で入れかえることが可能ではあったけれど、誘蛾灯では何の効力も発揮しない蚊が発生し、蚊の大群の対策のために管理人が近くの公園の日本庭園の池から、ヒキガエルの卵をビニールの袋に入れて持って来て池に放つことを思いつき、降りつづいていた雨のあがった五月のある朝、灰色がかったトコロテンにそっくりな半透明の紐のなかに褐色の豆粒が規則的に並んだ卵を持って来て、小学生の時理科の時間に、オタマジャクシのグループ別観察日記というのを書かされた、町の真ン中にあった学校で、グループの班長をやっていたので、オタマジャクシを探すのにえらく苦労した、とそれを見物していた住人たちに言い、後になって、三階の三○二号室の太った奥さんが、グループでオタマジャクシの観察日記を書いて班長をしていたって言ってたから、あの管理人さん、思ってたよりずっと年が若いのね、班長なんてさ、あたし、軍隊の、なんて言うの、ナイムハンって言うの?そういうとこの班長かと思っちゃうわよ、と言っていた、と彼女は笑いながら話したものだったが、小型の睡蓮の濃い緑色をした丸い葉の浮ぶ池の煉瓦の縁に腰をおろして-誘蛾灯のぼうっとした青白い炎が薄明るく緑色の葉と黒い水面を光らせている-素足を湿った煉瓦に載せ、松とハリエンジュと濃い桃色の夾竹桃と白い芙蓉の間を風が吹いてきて、灰緑色に塗りかえたばかりの坂道に面した庭のフェンスの鉄枠のペンキの匂いと、坂道を下って四車線の道路を越し郊外と中心部を結ぶ私鉄の線路に沿って流れている川が大雨であふれた時に川沿いの家の庭や床下や道路に残していった川底の腐敗した泥の臭気が混りあい、池の水からも生ぐさい金魚の鱗から出る分泌物のような匂いがするのだったが、白い極く薄い麻のローン地に小さな黄色い花-キンポウゲ、レンギョウ、ヤマブキ、ツワブキミモザ、どれだったろうか-と緑色の葉のプリントの肩と腕と胸の見えるウェストのところでたっぷりギャザーの寄ったサマー・ドレス-肩に細いストラップが三本(間にプリントの葉の緑色をはさんで小花と同じ黄色のストライプが二本)ずつ付いていて、深く刳った背の部分と、ナイロンで裏打ちしたラバーのブラジャーのカップがワンピースと一体になっている前身頃をつなげている-を彼女は着ていて、少し身体を動かすたびに薄い麻の布地はかさかさしてくぐもった衣ずれの音をたて、そのサマー・ドレスはファスナーが背中に付いているのではなく、左の脇の下からウェストの一番細い部分で一度途切れて小さな銀色の針金で出来た二個のホック留めになり、さらに腰の方からウェストに向けて下から上に引き上げる仕組みのファスナーが付いているものだから、それを脱がせようとするたびに-彼女はその黄色い小花模様のローン地のサマー・ドレスの下に小さな湿り気をおびたパンティーしか付けてはいないのに-ちょとした混乱がおき、細いストラップが身頃に縫い付けられている部分の糸がほつれ、かさかさした大量の布地のスカートと、スカートの裏地を持ち上げて頭から脱ぐ時に、後ろにかきあげた髪の毛を耳の上でとめた小さな金色の音符形の飾り付きのヘアーピンが落ち、ブラッシングしたウェーブのある髪がもつれてファスナーにからみついたりもするし、いやな服なのだが、青白い光を反射する水面に彼女の青白い顔が映り、庭のくさむらにひそんでいたヒイガエルが二匹煉瓦を敷きつめた池のはたに軽くジャンプしてあらわれ、そのままじっとしているのを見ながら、カエルのカップルは一方が死ぬともう片方がエサを食べなくなって死んでしまうんだって話を聞いたことがあるけれど、どこでだったのだろうか、と言い、私は微かに声をたてて笑い、黒トラの柄の猫は池の煉瓦の縁に軽くとびのって首を長く伸ばし、桃色のしなやかにしなう舌で水面を鞭打つようにして水を飲みはじめる。

 

読み進めるうちに、柔らかい土を踏んでいるのが人間ではなく猫で、しかもその猫を見ている人物がいて……と全体としての内容がつかみづらい。だから、『柔らかい土をふんで、』を読むときには、断定して読むのではなく、文章を読む運動だったり、イメージが生成されては変容していくのを味わっていればよい。決めつけずに、その文章を真に受けて読むこと。絶えずこう読んでいこうという可能性が消えて、別の可能性が提示されるのを受け入れること。うまく伝わるかわからないが、そのような読みは数学的思考法や将棋と実はつながっているのではないかという風に思うし、保坂の言うことをあまりに真に受けすぎているということも感じる。また、保坂らしくないことを書いている箇所があって、けれどその箇所がとてもいい。

 

ここに書かれている「神」「あなた」とは、精神の働きとも言えるようだし、世界こうある秩序とも言えるようだし、世界と私とのインターフェイスとも言えるようだ。もっとラクな言い方をしてしまうと、恋愛状態にあるときの恋い焦がれている「あの人」にちかいとも言えなくない。恋をしている「私」にとって世界はすべて恋人に向かって語りかけるものとなっている。道端で花を見たときにも、秋の陽射しに光り輝く空を見たときにも、「私」はその美しさを恋人に語りかけ、恋人と共有している。旅行に出たときなどは見るもの聞くものすべてを恋人に報告していて、つまり「私」が見ることがそのまま「あの人」が見ることになっている。

しかし「あの人」はただ「私」からの報告を受け取ったり、「私」と一緒に見たりしているだけの受動的な存在ではない。「私」がこれほどすべてを美しいとか面白いとか感じることができる理由は「あの人」が「私」とともにいてくれるからで、「私」の”見る”も”聞く”も「あの人」によってもたらされている。「あの人」は「私」が世界を感受する根拠となっている。

 

最近、本を読んでいなくて、小説を書くこと、読むこと、語ることはどれかひとつだけやっていればよいというものではなくて、もっと書くことにまつわることを考えて、読んだり語ったりしなければならなくて、その過程で山川方夫の『夏の葬列』のことに触れて、保坂の『小説の自由』を読んで感じたことを書いた。本当ならば、アウグスティヌスの『告白』の読み方にいかに感動を覚えたかを書きたいがそれは別の機会に書くとして、タイトルのY先生やW先生のことに話を移す。

Y先生の『横断する文学』、翻訳の『フローベールにおけるフォルムの創造』、W先生の『今日の「純粋小説」』を読んだことで、読み方がずいぶん変わったように思う。

 

フローベールにおけるフォルムの創造』の冒頭は蓮實が以前に翻訳したことがあるが、2013年にとうとうY先生が全訳を書いた。

リシャールのテマティスム批評は、とても面白く広く読まれるべきだと思う。批評がここまで面白く、食べることが読み進めていくうちに粘り気を帯びて溶解し、欲望が浮き出て、愛のべとつきへと抽象的でなく、強烈なイメージを焼き付けてくる。詳しいことは、今度古代の愛や快楽の話と関連して書きたい。

『横断する文学』は現在絶版で手に入らないのだが、序文だけでも読んでほしい。近代の自然科学も射程に入れて、ジョイスやプルーストについて語っている(言いすぎでなければ、保坂の関心とY先生の書いていることは似ている)。

W先生の『今日の「純粋小説」』は移人称小説について書いており、岡田利規磯崎憲一郎柴崎友香、松田青子、藤野可織保坂和志といった現代文学の書き手がどんどん登場してくる。人称の越境が行われる彼らの小説がジッド横光利一を経由して読まれることで、その確信犯的なテクニックが浮き彫りとなる。僕は現代小説ばかり読んでいたから、Y先生やW先生の本を読むことで、文学史を勉強する必要性を感じた。

 

で、僕はY先生やW先生が大学生のころからの友人であるということを最近知り、Y先生の語るW先生のエピソードを聞いて、長年交友関係があるということがいいなと思う。その時間の厚みとかもっと語りたいのだが、疲れてしまったので終わりにする。けれど、たぶんY先生やW先生のことを簡単に言い表してはいけなくて。ドラえもんの「のび太の結婚前夜」でのジャイアンの家での披露宴の打ち合わせのシーンと同じ感覚だし、僕はそういうシーンが好きなのだ。今後、ドラえもんの「のび太の結婚前夜」とY先生やW先生のこと、ナルシストが嫌いでそれと同じ理由で日本の近代小説が一時期読めなくなってしまったのではないかということ、なぜ風景を書かなきゃいけないのか、村上春樹の小説をなぜ良いと思うのか、なぜ固有名詞や引用が好きなのかとか書けたらいいと思う。最後にカフカの断章。

 

 午後、泉で溺死したある癲癇病の女の埋葬に出かけるまえに。

 

 あるいは、こういう情景。

 

 机のうえに、一塊の大きなパンがあった。父がナイフをもってきて、それを半分に切ろうとした。ところが、ナイフはしっかりしていてよく切れるし、またパンは柔らかすぎも固すぎもしないのに、ナイフの刃がどうしても通らない。ぼくたち子供はびっくりして、父を見あげた。父はこう言った。「おまえたち、なぜ驚くのだね。何かが成功する方が、成功しないより、ずっと不思議なことではないのかね。さあ、もうおやすみ。たぶん、なんとかうなくやれると思うから」

  ぼくたちは寝床に入った。しかし、ときおり、夜幾度もまちまちの時刻に、ぼくたちのだれかがベッドのなかで起きなおり、首を伸ばして、父を見た。背の高い父が、いつもの長い上着を着たまま、あいかわらず右足を前にふんばって、ナイフをパンに突き刺そうとしていた。翌朝早く目をさますと、父がナイフを下においたところだった。「ごらん、まだうまくいっていない、実に難しいんだ」と言った。ぼくたちは自分が立派なところを見せようとして、自分でやろうとした。父もやらせてくれた。しかしぼくたちは、父が握っていたため把手が灼けるように熱くなっていたナイフを、ほとんど持ち上げることさえできなかった。