on the road

カルチャーに関する話。

現実と夢を連絡したい

社会人になって、興味が深まったことのひとつは、犬のことだ。我が家の犬はもともと捨て犬で近所のマンションのそばに捨てられていたのを母が拾った。そのとき、僕は修学旅行中だった。

 

散歩に連れて行くときにリードを付けると過去のトラウマからか、かたくなに動かなくなる。餌を食べるときは必ず皿から和室まで運んで食べる。和室に皿を置くと、今度はリビングの端に眠っているピアノの近くに運んでいく。

 

しつけようにも言うことを聞かない我が家の犬ではあるが、信頼関係がいつからか生まれて、疲れているときにはそばにいてくれるようになった。そのおかげで精神的な疲れは少しはなくなる。親が子供の寝顔を見て、仕事へやる気を出すのもこれに似た感情なのだろうと思う。

 

犬の表情を見ると、悲しいのか嬉しいのか分かるようになるといったことが、単に飼い主の思い込みとは言わせたくない。人間の言うことを犬が理解できるんだから、犬の言いたいことに対して人間が理解できるはずで、仮にできないとしたら、それは人間があまりにも主体的な価値観に生きてしまっているからかもしれない。

 

主従関係と呼ぶには、僕らはあまりに愛情を注いでいるし、自分の弱いところを見せている。犬も僕らの愛情に応えるためどんどん脱野生化している。今でも野良猫は見るが、野良犬はほとんど見かけない。

 

社会人になって、犬のことに興味が出てきたのは、gw明けに出た犬の本を買ったからだけど、まだ全部読めていない。こんなに本が読めなくなったなんて思いもしなかったが、仕事で得る情報量が多すぎるからで、その情報を処理しきれていないから余裕がないのだと思う。

 

余裕がないと言いながら、社会人になってからというもの家にいるときはほとんどYou Tubeを見たり、漫画を読んでいた。僕みたいな若い世代の人間にとって、コンテンツは個人的に消費するもの(消費という言葉はあまり使いたくないけど)ではなくて、そのコンテンツを完成させるため、あるいは無数のコンテンツとかけ離れたものとして特権化するために集団で消費するものだ。だから、ニコニコ動画You Tube、マンガワンなんかのコメントが少ないと退屈に感じてしまう。

 

作品それ自体への思考も行われるが、感想なりレビューなりを読んで、自分の意見の正しさを強化していく。コンテンツは無数にあるし、選択肢の多い世の中なので、正解を選び続けたいと思う。正解なんて滅多にないから、後悔をすることになる。あの花とかシュタゲが流行ったのはそんなことも要因だったのではないか(アニメはそんなに知らない)。

 

そんなことばっかやってると、思いがけない出来事に出くわさないし、思いがけないひとめぼれもできないから、自分ではどうにもならないことによって起こった出来事を大事にしたいという気持ちが今では大きい。

 

学生のとき、モチベーションを上げるためにいつも遠い将来のことを考えていた。今の自分は描いていた将来像とだいぶ違うし、今でも憧れているものに近づきたいという気持ちがある。けれども、今の安定した生活を捨ててまで選択できるほど意思は強くないし、きっかけが欲しいと思ってしまう。夢と現実が少しでも重なるようにならんかな。

 

仲の良い女の子に彼氏ができた。その日は、誕生日プレゼントをあげようとしていたけれど、その報告を受けて、なんとなく渡せなくなった。このプレゼント、どうすればいいんだろう。おわり。