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カルチャーに関する話。

母親という束縛 辻村深月「傲慢と善良」

思い起こせば、去年、東京スカパラダイスオーケストラ銀杏BOYZの峯田がコラボした「ちえのわ」をよく聴いていたな。

 

めんどくさいのが愛だろっ?

離れたくないんだ

 


「ちえのわ feat.峯田和伸」 MV+ドキュメンタリー -YouTube Ver.- / TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA

 

この歌で歌われていることは、知恵の輪みたいに複雑に絡まった人間関係のことだ。

SNSが普及して、ライトな人間関係を築きやすい世の中だと思うけれど、家族や恋人とは、離れたくても感情であまりにも繋がってしまっているから、そう簡単に離れられない。けれど、そんな人間関係を「知恵の輪」と表現してしまうことの軽やかさ、面倒臭さも受け入れてしまう愛が歌われていて、大人になるってそういうことなのかな、なんて思った。

 

意識しているわけではないけれど、めんどくさい家族が描かれた本を読んだなと思った。

 

舞城王太郎の「されど私の可愛い檸檬」。

 

されど私の可愛い檸檬

されど私の可愛い檸檬

 

 

「トロフィーワイフ」は、ひとつの価値観を正としてしまうことの危うさを、「ドナドナ不要論」では、悲しみと向き合う意味を、「されど私の可愛い檸檬」は、現実を見ることを教えてくれた。「されど私の可愛い檸檬」の前に刊行された「私はあなたの瞳の林檎」もそうだったけれど、全作品、ラストの一文がめちゃくちゃ良い。本当はこのブログ内で引用したいんだけれど、ラストの一文は流石に引用はできないので、ぜひみなさん読んでください。

 

で、今パラパラ読んでいると、「されど私の可愛い檸檬」は誰かの価値観で生きるな!ってことを言いたいんじゃないか、って思った。もちろんそれだけではなく、色んなものが込められているけれど。

 

誰かの価値観で生きることは、人生を退屈にしてしまうと思う。面白い漫画、映画は他人が決めるのではなく、自分で読んで感じるものでしょう?

 

辻村深月の作品を読んでいると、田舎コミュニティ特有の価値観を毛嫌いしているのかな、なんて思っていた。田舎でずっと暮らしていること、外の世界を知らずに自分たちの世界、価値観が全てだ、という考えが嫌いなんだ、と。

 

最新作「傲慢と善良」もそんな、田舎的価値観がものすごいネガティブに描かれているな、と思った。

 

 

傲慢と善良

傲慢と善良

 

 

「傲慢と善良」は30代の男女の恋愛のお話だ。婚約者の真美が突然失踪してしまい、少ない手がかりをもとに架が真美を探しに行く、というのが大きな流れだ。その中で、真美の母親がすげえ、リアルにいそうなお母さん的お節介を焼いていて、子離れ出来ていないな、なんて思った。子離れ、ってどうやってやるんだろうな、と自分ごとのように考えてみた。それは、きっと子供を信じてやることだ。子供のことが心配で大事にしてあげるとは全然違う。子供を信じてあげること、それは最大限の肯定だろう。逆に心配で、いちいち子供のことに口を出すのは、子供を何も信じていないし、可能性を潰すことにほかならない。赤ん坊は一度も転ばずに立ち上がることは出来ないように失敗させることも絶対必要だ。

 

すごいネガティブに母親が描かれているけれど、本当に伝えたいことって、自分の決めた道を生きることの重要性じゃないかな。

 

今の恋愛市場を怖いほど、繊細にかつ残酷に描いているその手腕はさすがだと思う。

 

僕は、好きになったら、めんどくささも受け入れてしまう方だと思うけれど、この作品の登場人物のめんどくささはとてつもない!

 

けれど、めんどくさいのも愛なんだと、去年何回も聞いた「ちえのわ」で刷り込まれている。