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今村夏子「父と私の桜尾通り商店街」

今村夏子ってどういうの書く人って聞かれてもうまく答えられなくて、苦し紛れに「アメリ」みたいに変な人がたくさん出てくるけど、愛おしくなってしまうような話を書く人ですかねって言ってみた。(そんな話をしたことなんかないけど、)ズレた価値観をもっている人の健気さと不穏さが、たまらない。

 

最近出た「父と私の桜尾通り」を読んだ。

 

父と私の桜尾通り商店街

父と私の桜尾通り商店街

 

 

好きな話は「白いセーター」と表題作の「父と私の桜尾通り商店街」だ。

 

描写の不穏さと主人公の私の能天気さはなんなんだろうか。

 

アパートまでの道をふたら並んで歩きながら、ここへくる途中に、ホームレスを見つけた話をした。そのホームレスは空き缶のたくさん詰まったポリ袋を肩にかついでいた、真っ白な長いひげを生やしていて、上下赤い服を着ていて、赤い三角帽子までかぶっていたからまるでサンタクロースみたいだった、袋の中で空き缶同士がぶつかるカランコロンという音が、トナカイの鈴の音みたいだった、とわたしはいった。

それなら俺も見たよ、と、伸樹さんがいった。

「ここにくる途中に。空き缶の袋持って歩いてた。たぶん同じ人だろう」

「そう」

とこたえて、わたしはふと泣きたくなった。

歩く速度が落ちたわたしに、伸樹さんが、

「どうした」

ときいた。

「胸が痛いよ」

とこたえた。わたしは右の手のひらで胸を押さえた。

「殴られたところ?」

と伸樹さんがきいた。

わたしは首を横に振った。

「ちがう」

「教会で、陸に殴られたんだろ。きいたよ」

「ちがうの、大丈夫。もう治った。ほら、元気元気」

伸樹さんはそれ以上なにもいわなかった。わたしたちは黙って帰り道を歩いた。

 

僕は、「ちがうの、大丈夫。もう治った。ほら、元気元気」って台詞が可愛くて好きなんだけど、それは置いといて、内面の出来事が描かれなさすぎる。ここは描いてここは描かないという取捨選択が、結果的にヒッチコックばりのサスペンス感を生み出しているなと思う。

 

けど、日常で僕たちはそんなに物をちゃんと考えてないのではないか。ふと泣きたくなったときに、なんで泣いてしまうのか、は自分でもわかってなかったりする。

 

あとで思い出して、あれは仕事に疲れて心が張り詰めていたんだ、とか現実には理由付けをすることのできる余白がある。

 

言いかえれば、事実はひとつだけど、解釈は無数なのだってことだ。 

 

今村夏子の作品における出来事の唐突さに振り回されながら、不穏さを陰に感じながら、キュートな登場人物たちをもっと見ていたい。