on the road

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同じ話を何回も


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自分は、残業をしたくない方だと思う。仕事が山積みになると、夢の世界でも仕事してしまったり、体調をすぐ崩すので、効率第一で考えてる。どの仕事もネットを見ればシステム入れてゴリゴリ管理しているけれど、お金も人も時間もリソースは限られている。PDCAをしっかり回すべき仕事と必要最低限だけやってれば良い仕事があって、その線引きをはっきり引いたりするとなんとかなると最近気づいた。ルーチンの仕事をいくらやっても残業に頼った仕事の進め方をすると、今より仕事が増えたときに対応しきれないじゃんという気持ちもあるから、残業する時は緊急対応する時とかよっぽど忙しい時だけするようにしている。

 

で、最近がまさに残業をしなきゃいけない時期なのである。職域接種なる言葉が6月頭くらいからニュースで出てきた。うちの会社でもやるなら産業医だけで回せるだろうか、インフルエンザの予防接種をお願いしている業者に頼むことはできるだろうか、というところから話が始まった。コロナの対策本部の事務局の一員としてこれは今からゴリゴリ準備する必要がありそうだ、と覚悟を決めて、残業をして、情報収集と職域接種をするために検討すべき事項を整理した。

 

コロナの対策本部の事務局は4人いて、そのうち2人は部長と課長だが、職域接種のことを担当しているのは部長と僕だけである。ここ数日、部長は株主総会準備と課長のミスによって発生した重大な問題の対応で余裕がなかったので、職域接種の大部分を自分1人で段取らないといけなくなったのである。だから、友達に職域接種の話が会社で出てたりしてるか唐突に聞いたりした。

 

6/7に職域接種の総合窓口が首相官邸のHP上に開設され、夜中に職域接種の概要が掲載されて、6/8の14:00から職域接種の申請受付開始。初日から申請できた企業は事前にある程度の情報が耳に入っていたに違いないと思う。会場も予約システムも医療リソースの確保もそんなすぐにはできない。

 

6/8に部長と経営者への報告を行なって、今週中に希望者の人数を把握して、申請しちゃおうという無茶振りを受け、今週は色々な部署に交渉して段取って、何とか職域接種の申請までこぎつけた。他部署への交渉は90%くらいたいして偉くもない僕が行なっている。協力してくれたのは、職域接種をやりたいからだろうか、それともこの1年の自分の働きぶりを見てくれていたからだろうか。職域接種の参考にしたいから、と市の集団接種会場を見せて欲しいとお願いして見せてもらったりもした。職域接種の準備をするにあたって、グループの中で一番業績の良い会社の代表取締役から直接電話が来て、初めて話したりした。名前も覚えてもらったっぽい。コロナ禍で間違いなく自分の名前がグループのいろんな人に知ってもらったような気がする。

 

以前グループ会社の取締役だった人(今は定年再雇用されている。仮にAさんとする)からも電話が来た。職域接種をうちのグループでもやれるなんて嬉しいよ、みたいな話だった。対象に従業員の家族、協力業者も入れて実施するのは、従業員満足度も業者の満足度もかなり上がると思う、という意見も色々な人から言ってもらった。今までコロナ対応で感謝されることがなかったので、頑張って準備してよかったという気持ちになる。まだ準備が終わっていないことが山積みだけど。

 

Aさんから何回も同じ内容の電話が来る。嬉しいけれど、前も聞きましたよとは言いづらい。電話で話しているうちにラジオで聞いたことを思い出した。あれは、「問わず語りの神田伯山」がまだ、「問わず語りの松之丞」の頃のエピソードだったはず。具体的にどの回かを思い出したいけれど思い出せない。神田伯山は基本毒づくイメージだけれど、年配者と話すときに昔の話を何回もする人がいるけれど、年配者は今だけを生きているわけじゃない、昔のその人とも会話しているんだ、的な話をしていた。もしかしたら全然間違って記憶しているかもしれないけれど、その考えに感動したのは覚えている。「大豆田とわ子と三人の元夫」でもそういった価値観が7話あたりでオダギリジョーが言っていて、感動したな。

 

まだ20代だけれど、友だちと少しずつ「老い」について話すようになった。疲れが取れなくなった、脂っこいものが食べれなくなった、夜更かしできなくなった、とか……。保坂和志の本で老いた身体に痛みが常にどこかしらにあって、静かに死ぬことは難しい的な話が書いてあった。デスクワークをしてると肩や腰が痛くなるようにその人の生き様が傷や痛みとして表出されるのだろうか。

 

「三体Ⅲ」で、長い時間情報を保存できるのは、石に文字を掘ることだと書いてあった。情報とは傷のことである、ということだとこの文章から飛躍してみる。老いた身体には長年蓄積された情報=傷があって、痛みが生じる。痛みは過去の痕跡であり、痛みが常にあるということは過去が今も存在し続けているということで、だから昔話をよくしてしまうのかもしれない。