30年前に比べて親しい友人の数が減っている、という記事を最近読んだ。なぜ親しい友人の数が減っているのかについてを分析する記述はなかった。
アメリカに住んでいない僕の体感としてもそうで、でも、SNSで顔も知らないし、声をかけたこともない誰かの投稿に救われることがあって、そういう人はどのように呼べばいいのだろうか、とぼんやり考える。
たまに友人からブログを読んでいると伝えてもらうことがあって、少し嬉しい。いつのまにかブログ記事の投稿件数が100件を超えている。文章がうまくなったとは思わないけれど、自分が書きたいように書けてきた気がする。完成度はともかく、コンクールに応募した経験が多少なりとも活きているのだと思うことにする。
GWの少し前になるけれど、ロロの新作「ロマンティックコメディ」を観に行った。国道沿いにある丘の上の古本屋で行われる読書会。題材はいつも同じ本。皮をむく、と表現するのではなくて、皮をひらくと表現することに作者の日常を思い起こしたり、モデルとなった舞台が古本屋の近くの町なのではないかと解釈したり、自由な読書会。ロロ作品は饒舌に、かろやかに、時にはグロテスクに、魔法がかかったような鮮やかな世界を描写し、立ち上げていくイメージがあるんだけど、今回は言いよどむシーンが何度もあって、今までのロロとはひと味ちがうなと思った。
読書会に参加するメンバーは作者と何かしらつながりがある人で、だからだいぶ作者の生活に近づける解釈が多く登場する。それでも、現実とは違う部分もあって、それを「物語と思い出の距離を私は読む」と、作者が表現したかったことに思いを馳せる台詞が沁みた。
チョコエッグを開けたら、中身におばけのおもちゃが入っていない。それを本物のおばけが入っているから、あたりなんだよという場面があって、それが印象に残っている。不在というのは存在しないことではないのだ。