いつ高シリーズは2021年の「ほつれる水面で縫われたぐるみ」「とぶ」で完結したが、またいつ高シリーズを見れるとは思わなかった!
三浦さんの自作解説で書いていたことが形を変えて叶ったということで良いんだろうか。
(逆)おとめとシューマイと白子の物語はまだ「いつ高シリーズ」で描ききれていないので、「いつ高シリーズ」という冠を外して、近いうちに書こうとおもっている。
左右で舞台が別れている。空間を隔てているけれど、時折空間を軽やかに(スーパーボールが跳ねるように)、またいでしまうのを見ると、演劇って楽しいなと思わずニヤニヤしてしまう。左右両方とも学校の屋上に続く階段の踊り場が舞台で、屋上は窓に映る影で何となく想像できる。
文化祭当日、喜劇研究会のひとりが熱で休み、ダブチと机田のふたりでできるネタを急遽練習するシーンから始まる。ショートコント「タイムスリップ」*1。2週間後の自分がやってくるというコントだが、本作はいつ高シリーズから23年経過していて、高校生だった(逆)おとめ、白子は40歳。(逆)おとめはすっかり社会人然としているし、白子は明るいけれど、災害用のホイッスルを首から提げている。実家暮らしで親の視線に嫌気が刺し、家出をした白子は楽しかった高校時代にしがみつくように旧々校舎の屋上に続く階段の踊り場で生活する。
もうひとつのコント「ゴミ捨て」では彼女との思い出の品を分別して捨てる。最近のロロ作品は、思い出をそのまま抱き締めるのではなくて、記憶違いを起こしたり、忘れてしまうことも肯定しているように思う。(逆)おとめと白子の出会いのエピソードも白子は曖昧に記憶している。(電話番号をずっと覚えていたのに!)
でも、忘れてもなかったことにはならない。高校時代に半径100mしか聞けなかった(逆)おとめのラジオの音源は残っている。誰にも聞かれなかったかもしれないラジオをエイリアンが聴いて、知らない間に地球を救っていることだってある。
屋上に続く階段の踊り場という微妙な舞台でダブチと机田がやるコントもきっと誰かが見て、思い出として残っていく。