on the road

カルチャーに関する話。

詩人の唇と実験【清書】

カート・ヴォネガット・ジュニアタイタンの妖女』の読書会のために眠い目をこすりながら、斜め読みしたから、場面描写がよくわからず入り込めなかった。アメリカ文学はそんなに苦手じゃないと思っていたが、ユーモアをたっぷり込められると一歩引いてしまう自分を発見した。でも、好きな描写はたくさんある。たとえば、主人公のマラカイ・コンスタントの好男子ぶりを形容する表現のひとつに「詩人の唇」というものがある。詩人の唇、彼が唇を震わせて発する言葉は詩情にあふれているということなのか、彼があまりに容姿端麗なので、会話している人が発する言葉にすべて詩情を感じ取ってしまうということなのか。詳しい描写はないけれど、詩人の唇、という表現をえらく気に入った。

 

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今年に入ってから、繰り返し伊藤紺の短歌を読んでいる。抽象と具体のバランス感覚が絶妙な短歌が好き。短歌は作者の生活から発せられた言葉として読み取ってしまう。ミュージシャンの歌がミュージシャンのパーソナリティと切り離さずに聴いてしまうのと同じ。

 

口ぐせをうつしあったらばらの花いつまでもいつまでも残るよ

 

恋愛だけでなく、人間関係を築いていく過程で、口癖が移っていくことはあるし、何なら小説や詩、漫画、映画からも影響され、語彙が変化していくことはある。そういう風に影響されながら、思考も変容していく様が面白くて、僕がエッセイ的なもの、日々の生活から滲み出る文章に惹かれるのはそういう語彙が変容していったり、価値観が少しずつ変わっていくのを面白がっているからだ。

 

2020年のコロナ禍以降、日記というものに注目が集まったことは僕も肌感覚で理解していたが、保坂和志佐々木敦の問題意識、小説観の延長線上に山本浩貴が捉えているのが面白かった。

 

果たしてこうしたかたちで保坂と佐々木に見られる書き手の反映を基本とするロジックは、その後、テクスト制作における実存の重視として、かれらの意図からずれつつも時代の推移としては順当に一般化したと考えられます。具体的には「日記」や「随筆」、「私小説」や「生活史(ライフヒストリー)」の流行、そして社会的主題の表出を書き手の実存との関係(の有無)のもとで評価する制作/批評観の主流化といったかたちで。

 

僕は2019年くらいから日記を書く面白みを感じていたんだけれども、それは保坂やミラン・クンデラが文章を書きながら思考していく、そのスタイルに共感したからなんだと思う。様々な表現方法がある中でなぜ言語表現を選ぶのか、ということを山本浩貴は『新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト』で書いている。僕はそこまで明晰に語ることはできないが、僕はアーカイブのしやすさ、検索のしやすさ、思考の展開しやすさが気に入って、こうしてブログを書いている。社会人になってから明確に形成された価値観のひとつになかったことにしたくない、考えたことはちゃんと形にしたい、というものがあり、今のところはブログの形式で書いている(Podcastを再開したい気持ちもある)。

 

SNSでバズる日記はいまいちノレない。僕から見える範囲なので、一概にそうとは言えないんだろうけれど、日記でもてはやされている記事の多くは文体で評価されている。やけにテンションが高い文章、方言で地域性を押し出す文章、僕はそういう日記の多くが小手先のテクニックばかりが前景化されているうように思い、面白く読めない。

 

僕が好きな日記は、そこにその人なりの論理が展開されている文章だ。言葉尻で読者の興味を引きつけるのではなく、その人の生から滲み出る語彙、価値観で引きつけて欲しい。

 

日記ではないが、たとえばこういう記事。

 

 

「水牛がおぼれて死んだので欠席します」という連絡。普通に考えるとペットが死んだときのようなニュアンスかと思うが、ラオスでは、水牛は資産であり、家計にもろに影響する。そういう自分の価値観とは違う論理が展開されていくことが、最近は特に面白く感じる。

保坂やクンデラは、小説の中で思考を展開する。クンデラは、『小説の精神』で小説について、こう定義する。

 

すぐれた散文形式。この形式において、作者は実験的自我(登場人物)を介して実存のさまざまの重大な主題をとことん考察する。

 

小説には、自らを別の状況へ生まれなおさせ、思考させる引力がある。大学時代、その小説観に惹かれていた。まだ読んでいる途中だが、山本の『新たな距離』で展開されている論理を通して、クンデラの小説観を批判し、乗り越えることができるような気がする。山本はテクストの前の空間、今まさに読み書いている人の生、肉体に着目している。一方、クンデラはヨーロッパの小説史を俯瞰して、小説の存在理由をその内部に展開される論理をもとに見出そうとする。クンデラの小説観も嫌いではないのだけれど、小説の技術が袋小路に入り込んでしまった感が否めなかったので、新しい視点で小説が捉え直せたら嬉しい。

 

***

 

最近新しくはじまったPodcast番組「流通空論」の#3でTaitanが主張していたことの中に「絶対コピーできないのは歴史とかアイデンティティでしかない」、「歴史と関係性だけは置き換わらない」という主張があり、励まされるような気持ちになった。Chat GPTをはじめとした生成AI等、明らかに自分よりも知識を蓄えているものに対抗しうるものは自分の歴史とかアイデンティティ、関係性だ、というのは、自分の生を肯定してくれるし、日記的なものの復興と関連しているような気がしている。

 

詩人の唇と実験④

エッセイ的なものはYouTubeTikTokでも流通していったが、日記の方がいまいちノレないと感じることが多かった。

 

僕から見える範囲なので、一概にはそうとは言えないんだろうけど、日記で持て囃されている文章の多くは文体で評価されてる。

 

やけにテンションが高い文章、方言で地域性を押し出す文章、僕はそういう日記の多くが小手先のテクニックばかりが前景化されてるように思い、面白く読めない。

 

※続きは土曜に。もっとちゃんと書きます。

詩人の唇と実験③

オーケストラのような構成というものを深く考えもせずに昨日書いてしまった。僕は音楽の素養があるわけではないから、滅多なことは言えないのだけれど、オーケストラのような楽曲には主題があり、それが時間を経るごとに変奏していく。

 

半年前から読んでいるリチャード・パワーズの『黄金中変奏曲』に出てくるバッハのゴルトベルク変奏曲spotifyで聞いて、変奏していく楽曲のことを何となく理解した。

 

クンデラは、ある生=主題が色々な要因で変奏し、今ここにある生とは別の生になりうることを音楽的表現や構成を借りながら思考しているんじゃなかろうか、ということを思う。

 

話を戻して(本筋ではなくて脇道かもしれないが)、山本浩貴の本を読み進めている。大体21時半くらいまで仕事して、家に帰るのは22:00前後みたいな日々だけど、25:00に寝ると割り切ってしまえば案外本を読むことができる。

 

2020年のコロナ禍以降、日記というものに注目が集まったことは僕も肌感覚で理解していたが、保坂和志佐々木敦の問題意識、小説観の延長線上に山本浩貴が捉えているのが面白かった。僕もコロナ禍以降、エッセイ的なものに惹かれていった。

 

しかし、SNSで"バズっている"日記や文章にはいまいちノれないことも多かった。

 

※続きは明日書きます。

詩人の唇と実験②

保坂和志クンデラカフカから影響を受けている。カフカの本はあまり読んだことがない。高校生の頃に『変身』を読んで、エンタメ小説ばかり読んでいた僕はあまり内容が分からなかった。

 

書くことで思考する。僕は頭の中だけでロジカルに思考していくことはできない。仕事の場においてもそれ以外の場においても、まず足がかりとなる言葉を探していくところから始める。足がかりとなる言葉を書き、その足場から見える地平を見ながらまた書いていく。その繰り返しで思考が前に進んでいく。そういう瞬間に思考している僕は、主体として思考しているのではなく、書かれた言葉に引きずられる形で思考させられている。思考のクセから逸脱するためにいかに慎重に言葉を選んでいくかが文章がうまくなるポイントなんだろうか、とも思う。

 

保坂和志クンデラは、小説の中で思考する点が共通するけれど、大きな違いもある。それは、保坂和志はジャズ的に文章を書いていくのに対し、クンデラはオーケストラのように緻密に構成された文章を書いている。小説を書く上で、音楽的感性は作家のスタイルに大きく影響するのかもしれない。

 

※明日に続く。

詩人の唇と実験①

カート・ヴォネガット・ジュニアタイタンの妖女』の読書会のために眠い目をこすりながら、ななめ読みしたから、場面描写がよく分からず入り込めなかった。アメリカ文学はそんなに苦手じゃないと思っていたが、ユーモアをたっぷり込められると一歩引いてしまう自分を発見した。でも、好きな描写はたくさんある。たとえば、主人公のマラカイ・コンスタントの好青年ぶりを形容する表現のひとつに「詩人の唇」というものがある。詩人の唇。彼の唇から発せられる言葉は詩情に溢れているということなのか、詳しい描写はないけれど、詩人の唇という表現をえらく気に入った。

 

山本浩貴の『新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト』を読み始めた。僕の好きな小説観のひとつに小説を実験の場と捉えるというものがある。僕が保坂和志クンデラが好きな理由は小説で思考する、新たな生を生きる、みたいなことを大真面目にやってるからである。

 

※明日に続く。

実家で毎週録画してるテレビ番組は僕しか見てない

転職して、出張する機会が増えてきた。今後は月に1回のペースで出張に行くことになりそう。帰りのサービスエリア、駅や空港でお土産を多めに買ってしまう。出張慣れしていないからでもあるし、何かをあげたくなる心性が年齢を重ねるごとに剥き出しになってきている。

 

モースは、「誰かから何かを受け取るということは、その人の霊的な本質の何ものか、その人の魂の何ものかを受け取ることに他ならない」というようなことを言っている。もしかしたら、お土産をもらうときに僕の感情の幾らかを負い目のように感じさせているかもしれない、とも思うが、口下手な僕としてはお土産を媒介させて、何かを伝えたい。それは感謝とかそういう大それたことではなく、出張先で感じたイメージ群を、100%ではないけど持って帰れる大きさで、色々話さなくてもうっすら伝わるような感じ。

 

全然文脈とは直接的に関係ないけど、『スキップとローファー』のいかせんべいを多めにあげるシーン好き。

 

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実家は電車で1時間ちょっとくらいかかるところなので、帰ろうと思えばいつでも帰れる。引越ししてからは実家に帰る頻度が減った。母から新しい職場はどうですかとか近況を尋ねるLINEが送られることも増えた。両親はともに70を超えるくらいの年齢なので、長期休暇のときだけ実家に帰ったとして、元気な両親と話せるのは100回もないかもしれない、というグロテスクな想像をしてしまい、振替休日の日にお土産片手に実家へ帰った。特に連絡もせずに帰ったので、家にいたのは父だけで、母は親戚の家へ遊びに行っていた。

 

父に近況を報告して、お土産を手渡す。受け取るとすぐに食べ始める。僕も職場でお土産をもらったときにすぐに食べるので、これは父譲りだったのかと恥ずかしくなる。

 

実家に帰った時、毎週録画されてるバラエティ番組をぼーっと見るのがルーティンで、そのバラエティ番組を見ているのは僕だけしかいない。一人暮らしを始めてからも毎週録画の予約を消し忘れていて、いつまでも録画され続けている。両親は毎週録画のやり方がわからないから、見たい番組は毎回番組表から選んで録画予約していた。

 

その日も録画番組を見ようと思ったら、レコーダーが買い替えられていて、毎週録画していたバラエティ番組は消えてしまった。

 

母が帰るのを待とうと思ったが、友達の誕生日プレゼントを買いに行きたかったので、母の帰りを待たずに実家を出る。友達の誕生日プレゼントには、オレンジジュースを買った。ちょっと高めのオレンジジュース。自分用に買うにはハードルが高いけど、見た目も綺麗で美味しそうだったので、デパ地下で買った。

 

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近くで展示会があったから、見に行った。千賀健史個展「まず、自分でやってみる。」で、特殊詐欺に関するインスタレーションが展示されていた。特殊詐欺というものに深く向き合ったことがなかった。自分の世界の少し外にある出来事と捉えていた。

 

スゴロクのマスが床に描かれていて、そこに描かれている言葉はアーティストが取材で実際に見聞きした言葉をもとに紡がれたもので、自分の世界の内側にもありうる出来事かもしれないと感じた。

 

統計上詐欺犯の半分は再犯している

それがなんでか考えたことある?

悪いやつだから?

 

あの日お金を取られたことを思い出すと

亡くなったお父さんに申し訳なくて

悲しいし、辛い

私もボケちゃったのかしらね

 

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たまたまその日はアーティストの人による直接解説してもらえるツアーをやっていて、参加者からの質問にも答えてくれた。

 

僕はデスクの上に置いてある茶封筒を指さし、「特殊詐欺には、こういう茶封筒はよく出てくるアイテムなんですか」という小学生みたいな質問しかできなかった。でも、とても丁寧に答えてくれた。

 

茶封筒にキャッシュカードや現金が入っていることがよくあるらしい。運び役になった闇バイトに応募した若者は、ロッカーからロッカーへ茶封筒を運ぶ。運ぶ瞬間、運び役はその手触りや重みで単なる書類を運んでいるわけではないことに気づいてしまう。もしかしたら自分は犯罪に加担しているのかもしれない、という罪悪感を感じながらも、茶封筒を開けてはいないから自分は何も知らないと言い聞かせながら割りの良いバイトを最後までこなしてしまう。そんなシーンが現実にありうる。

 

特殊詐欺というとっつきづらいテーマに対して、アートっぽく演出することで、若者にも興味を惹かせるという試みも面白いし、アーティストと話す機会もあるので、時間が合う人は行くべし。

 

 

***

 

最近、『ミワさんなりすます』を読んだ。ミワさんは、八海崇という俳優が推しのシネフィル。どれくらいシネフィルかというと、映画の有名なシーンを何分何秒のシーンかを言い当てることができるくらいのレベル。(メモしながら映画を観てるかららしい)

 

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八海崇が家政婦を募集していて、募集要項にTOEIC800点以上、ファンNGとあって、応募を諦めてしまったのだが、諦めきれずに家の前で誰が家政婦に採用されたかを見届けるために待ち伏せる。家政婦に採用されたと思わしき女性を見つけた瞬間、交通事故に遭い、救急搬送されてしまう。救急車に運ばれたのを見届けると、八海崇の家からあなたが家政婦の美和さくらさんですね、と人違いされる。それを否定せず、うそをついて美和さくらになりすまして、家政婦として働き始める、というのがあらすじ。

 

この漫画は、緊張と緩和を繰り返す。なりすましがバレてしまうかもしれないという罪悪感と八海崇と親交を深めていく喜びの間で揺れるミワさんと同じくらい読者も感情が揺れ動かされる。僕はドッキリ番組でたまにある気まずい空気が流れる瞬間が苦手なので、バレかける瞬間はページを繰る手を止めて、ひと呼吸いれて何ならテレビやYouTubeを観て心を落ち着かせてからじゃないと読めなかったりする。

 

面白いから読み進めるが、オタク的饒舌を許され、一種の才能のようにその知識が認められていく様に嫉妬を少し覚える。僕は小説や映画が好きでも、オタク的饒舌で魅力を語ることができない。友達におすすめするとき、あらすじすら分かりやすく魅力たっぷりに話せなくて、自分の好きは薄っぺらなんじゃないかと思うこともしばしばある。

 

でも、話す相手との関係性(相手の能力とかじゃない、関係性)でいくらでも話す内容や深度は変わると最近は感じるので、あまり気にせずに言語化を模索していければ良いんじゃないか、と開き直っている。

 

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最近、聴いているのは、ずっと真夜中でいいのに。の「綺羅キラー」。「最低のコンプだし 最高の昆布だし」ってところが好き。

 

 

出汁の効いた汁物を食べたい。

やっと読み終えた小説、読み進められた漫画、それと最近の話。

去年の秋から読んでいる本をしばらく読み進められずにいた。風呂場でちょこちょこ読んでいたから、カバーがよれよれになってしまう。出先で読もうといつも鞄に入れていたのに、読まずじまい。本屋で新しい本を買ってしまうから、喫茶店で時間を潰すときも、新しく買った本を開くのに夢中になってしまう。

 

読みさしの本は何冊もある。もうこの先読まないかもしれない本も中にはある。でも、去年の秋から読んでいるこの本の迎える終わりを見届けたい気持ちは冷え切らず、3月の、少し日差しを暖かく感じる日曜日に一気に読んだ。

 

大江健三郎の『同時代ゲーム』のことである。大江は正直あまり好みではないのだけれど、時折、咀嚼しづらさのある(読み応えがある、というにまた違う感触の)文章を読みたくなる。大江健三郎の小説は片手に数えられるくらいしか読んだことはないが、僕が大江の文章に感じるのは性欲を煮詰めたようなドロドロしたもの。

 

かれらの内に立ちまじって、ズボンをおろした僕もまた、長方形の明るみの底に、輝くバターの色の丸い臀部をあらわしたきみを見た。宙にささげるように臀部を高くあげた反動で、頭はキンカクシにつけるほど低くしているのに、自然なあり様で頸を曲げたきみは、やはり声にすればアハハアハハと屈託なく響きそうな微笑をこちらにむけていた。便所の臭いの立ちこめている昏りに、花火が開くように活力のある聖液の匂いがパッパッと噴射されるのをかぎわけつつ、僕は輝くバターの色の丸く大きい臀部を見おろし、そこへ精液がとび散らぬかと心にかけたが、きみの花やかに微笑する眼に、その心配はないと励まされるようにも感じた……

 

そこまで潔癖ではない僕でも、この描写の汚さに閉口してしまいそうになるのだが、村の奇妙な因習で捻じ曲がった性欲のさまに神話的な雰囲気もうっすら感じ取ってしまう。

 

第3の手紙からダレてしまったのだけれど、第6の手紙の最後の方の裸で森を彷徨う主人公の数日間の描写が圧巻で、途中で読むのをやめなくてよかったと思った。大江成分を十二分に摂取したので、1年くらいは読まなくて良いかな。

 

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最近、『呪術廻戦』を読んだ。この漫画も数年前に途中まで読んで、話の筋が分からなくなって読むのをやめてしまっていた。THE SIGN PODCASTの呪術廻戦回を聴きたくて、再チャレンジしようと読み進めたら、想像以上に楽しんで読んだ。『呪術廻戦』の好きなところは、主人公の虎杖が罪を引き受けた上で敵と対峙するところ。年内に終わりを迎えるという話もあるから、話が完結したら、ちゃんと感想をまとめたい。(好きなキャラは東堂葵です)

 

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THE SIGN PODCASTの呪術廻戦回はもちろん面白かった。

 

 

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先週末、香水をかけすぎて、隣席の先輩にすぐに気づかれる。恥ずかしくなったけど、思いの外香水の話で盛り上がった。週末に散歩してたら香水が欲しくなって、新しい香水を買ってしまった。今朝香水をふきかけた時にまとった無敵感で、今日を難なく乗り切った。

 

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ジャンクなものばかり食べてますね、と会社の人に言われ、赤面する。引き出しに閉まっていたチョコをいつも以上にコソコソ食べる。

 

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最近、聴いてるJ-WAVEの「おみゆの好き蒐集倶楽部」の空気感が好きで、作業中はよく聴いてる。散歩中に聞くのも良い。

 

 

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プログラミングの勉強法として紹介される写経という言葉、ここで出会うとは思っていなくて、少しおかしくて笑ってしまうけれど、些細なことすぎて誰にも言うこともなく、胸の中に閉まっておく。