on the road

カルチャーに関する話。

2025振り返り(殴り書き)

2025年1月4日、川崎大師でおみくじを引く。結果は凶。願望の欄には、「焦れば悪果を生む叶ひ避ければ時をまつべし」、悦び事「なし」、恋愛「滞りありて意の如くならず静観の度量を持つべし」、職業「不利の情勢に在り忍苦に堪へて時をまつべし」などなど。

 

おみくじに書かれた内容はこれまですっかり忘れていたが、大晦日に振り返ってみると、忍耐の年であったようにも感じるし、人生の転機のような年だったとも感じる。高校生から夢見ていた会社に転職し、夢が限りなく叶った後の世界を生きているような感慨深さも当初は抱いていたが、上半期は親の介護と仕事を覚えることで目まぐるしい。そんなに仕事を器用にこなすタイプではないし、コミュニケーション力が高いわけではないが、好意的に迎えてくれる上司や同僚たちに励まされ、2025年を走り切れた気持ちである。

 

通勤中、休日の散歩中によく聞いていたのは、宇多田ヒカルの「道」。親の介護で感傷的な気分にもなりがちなところを、前を向いて歩こうという気分になり、とても励まされたのです。

youtu.be

 

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そこまでカルチャーに触れていない2025年ですが、忘れないように良かったものを以下に記します。基本的に今年ハマったものを書いているため、古いコンテンツが混ざっていることもあります。ご容赦ください。個別の感想は年明けに追記する可能性ありです。

Podcast

  • 真空ジェシカのラジオ父ちゃん
  • あしたメディアPodcast
  • ラジオ知らねえ単語
  • 原宿の今じゃない企画室
  • ママタルトの地球ディッシュカバリー
  • アオイとキクチ
  • コンテンツ過剰接続
  • 佐倉綾音 論理×ロンリー
  • これはニュースではない

ラジオ(音声コンテンツ)とお笑いカルチャーは切っても切り離せないものの、やっぱり芸人ラジオは供給過多だと思っているため、そうではない音声コンテンツに触れようという気持ちになって、雑多に聞いた一年だった。2024年の米国大統領選でPodcastが大きく投票行動に寄与したという記事が多く見られたせいか、2025年は色々なプレーヤーが増えた一年だった。個人が観測する範囲ではいわゆる人文系のプレーヤーがめちゃくちゃ増えている。これは奇奇怪怪の影響であろう。

Book

今までは同時代の空気感をとらえた作品を読みたくて、古典っぽい作品を読むのは得意ではなかったが、この一年はとかく名作を読みたい気分になった。ここには書いていないが、例年に比べ同時代ではない作品に多く触れたと思う。AIでそれっぽいものが大量に増えた今、歴史に残ったものの価値には到達し得ない。この時間の厚みを感じて、一歩進めるようなことが自分のライフワークとしてできたらうれしいなと思いつつ、沢山本を買った。読書スピードは一向に上がらない。

Comic

  • 雁木万里『妹は知っている』
  • ココカコ/三澄スミ『ゲキドウ』
  • 絹田みや『友達だった人』
  • 篠原健太『WITCH WATCH
  • けらえいこあたしンち
  • 六内円栄『This コミュニケーション』

例年に比べ、どハマりした漫画作品はないことは自分でも少し寂しくはあるのだが、絹田みや氏の『友達だった人』には大変心を動かされた。現代的なつながりのあり方が提示されていて、この方向のカルチャーを大切に育てたいと切に思う。

Music

  • Laura day romance「合歓る - bridges」
  • adieu「adieu 1」
  • ずっと真夜中でいいのに「クリームで会いにいけますか」
  • vulfpeck 「Clarity of Cal」
  • スーパー登山部「燕」
  • Charli XCX「Brat  and it's completely different but also still brat」
  • ゴリラ祭ーズ「the drifter」
  • MONO NO AWARE「走馬灯」
  • 星野源「Gen」

Laura day romance、ずっと真夜中でいいのに、MONO NO AWAREの新譜はいつも歌詞を噛み締めながら聞いている。ずっと真夜中でいいのにの「クリームで会いにいけますか」には強さを感じる。曖昧さをグレーではなく、クリームと表現し、ポジティブなイメージを見出してしまうセンスも◎。

0or100の思考停止が危険

断言は派手だけど浅薄

エゴでもない気持ちの掟

クリームな解釈もいいじゃん

MONO NO AWAREの「走馬灯」は素晴らしすぎて、MVを見るといつも泣いてしまう。

Movie

見たい映画はたくさん見逃してきたけれど、それでもグッとくる映画を何本も見ることができたので、満足。

Theater

  • 南極「ゆうがい地球ワンダーツアー」
  • ロロ「まれな人」
  • 東京にこにこちゃん「ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス」
  • 贅沢貧乏「わかろうとはおもっているけど」

演劇をがっつり見ようと試みた下半期。の割にあまり見れていないので、もう少し観劇する量を増やしたいので、おすすめ待ってます。

 

それでは、良いお年を。

芋煮を食べた 20251230

芋煮会というものがある。夕方のニュース番組で見る芋煮会は、鍋のサイズの大きさばかりに気を取られてしまい、芋煮会本来の楽しみがわからない。

「令和ロマンのご様子」で豚汁の方がポテンシャルが高いと軽率な発言をしたケムリ氏に待ったを唱えるペット(リスナー)たちの熱量高いメール、「オモコロチャンネル」でストーム叉焼山形県民の血にはこれ(芋煮の味付けに使う調味料、味マルジュウ)が流れていると豪語する様、それでいて、芋煮会の動画はYouTubeにはそれほど転がっていない。

youtu.be

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そのアンバランスさと、オモコロチャンネルでの年末年始的で牧歌的な雰囲気に魅了され、銀座の山形県のアンテナショップに駆け込む。本来は秋に食べるものということは気にしない。洗い里芋、味マルジュウなどを買い込み、実家に帰る。

 

普段、自炊をしない自分でも作れる手軽さ、大雑把な調味料配分、ごろごろと大きな具材を煮込むだけで楽しい気分になる。

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今回作った芋煮は醤油ベースで作っていて、味は濃い。砂糖も入れるからすき焼きと近い味のようにも感じる。ご飯が進む。寒空の下で食べれば、それはもう絶品だろう。実家で家族に料理を振る舞うのは初めてかもしれない。美味しいと言われるだけで無類の喜びである。

 

揚げ物をする時よりぐつぐつ煮込みながら、ラジオなんか聞いてる時が楽しい。調味料を少しずつ入れて、味を整えていく過程も楽しい。揚げ物だと調整が効かない。一発勝負感があって、料理初心者からすると緊張感がある。TBSドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』で筑前煮やおでんといった煮込み料理が登場するのは必然で、煮込み料理は混ざり合うことが肯定される料理なのであって、誰かと食卓を囲んで、同じ鍋を突くことはその人を丸ごと受け入れたいし、自分が良いと思うものを差し出したい気持ちなのである。

 

 

「それで言うと」って何?

転職して、1ヶ月経つ。

 

部署の異動、転職をする度、最初の1〜2週間で目新しく感じていた職場やそこにいる人たちに親しみを覚えていく感覚があって、こうやって無意識的に居場所を作り出しているのである。

 

前(々)職の友人と会うと、 前(々)職の職場の話で盛り上がるわけなんだけど、徐々にその職場で僕の知らない人たちが異動してきたり、新規配属されたりしていて、少しずつ話についていけなくなる。ホームとして捉えていた場所が少しずつ余所者として話をしていく必要が生じるような気がして、それは寂しい。だから、会社で友人を作ったら仕事以外の共通の話題をたくさん作っておくべきだと今更思う。

 

母は現実に起こっていないものが見えている。入院していて、週に1度くらいしか面会に行けていないのに、「おととい一緒にそこでご飯を食べてた男の人は誰?」「昨日背中に付けてた缶バッジは何?」とか僕の知らない話をたくさん投げかけてくれる。今までと同じような世界の認識の仕方が難しいから、雑談をするのも一苦労で、話が通じないとき、それもやっぱり寂しい。

 

***

 

 

そんなことを書きつつ、総体としては寂しいよりは楽しい方が優ってるということは伝えておきたい。今は新しい価値観に触れ、カルチャーギャップを感じる瞬間が楽しい。

 

今まではメーカー勤務だったから、業務の標準化・平準化していくことが常に求められていたけど、今は標準化は是とされない。

 

この数年、前会長により推進されたコストカットやら組織改革により体制がズタボロになっていて、その反発で標準化には距離を取っている社員が多い。シュリンクする市場に抗う手立てを考え、実行していくこがとにかく求められていることだけは伝わってくる。HDの弊害なのかもしれないが、子会社のひとつである今の会社のコーポレート部門は推進力、立案力に欠ける、と言わざるを得ず、そう言うところにぶち込まれたので、ガリガリ仕事をせねばならない。

 

***

 

最近、社内で打ち合わせをしていて、「それで言うと」という言葉をよく耳にする。上司が口癖なだけかもしれないが、意識しすぎてしまって他の人の「それで言うと」にも過剰反応してしまう。

 

「それで言うと」は、軌道修正的な機能があると思ってる。前段のセリフを踏まえて論理的な運びに見せるような意図があると思うが、過剰に使用されることで、その場を支配しようとする磁場が可視化されすぎてウンザリしてしまったり、実は議論が停滞していたり、論点がズレていったりであんまり良い印象がない(会議中の脱線が好きじゃない、というのも理由のひとつかもしれない)。でも、僕だけじゃないはず。

 

みなさん、特に偉い人たちは会議の時に「それで言うと」の言い過ぎには注意してください。

植物と言語の過剰※メモ

セリーヌ『夜の果てへの旅』上巻 P.235

 

フェデルブ広場は強烈な環境を、けばけばしい道具立てを、物狂おしい《南部》の田舎に似た、植物と言語の過剰を備えていた。

 

この短い文章の中で視覚的な描写と聴覚的な描写が両立していて好き。

 

「植物と言語の過剰」、ことさらこの小説で強調されるべき表現ではないが、植物と言語を並列で配置することのセンスの良さに膝を打った。言語を言の葉と変換し、縁語のような関係性を見出す誤読、過剰な解釈をするのも一興かもしれない。

 

昨日寝る前に読んでめちゃ頭に残っていたのでメモを残す。

引越しと投函

引っ越してから約3週間くらい経つ。

 

引越したばかりの時、家のポストに何か投函されてないか少し期待をしながらポストの目盛りを右に左に回す。

 

引越したばかりで、まだはぐれもののような気持ちだから、DMでもいいから僕の住所に向けて投函されててほしい気持ちがわいてしまう。

 

駅前で今川焼きを買っていたら、通りすがりのおじさんに現金じゃなくても買えるよと声をかけてもらった時のあったけー気持ち、会社の帰り道にスーパーで買い物してから帰ったりするリズムの中で少しずつ街になじみ始めるような感覚があって、楽しい日々を送れている。

 

引っ越した街は、鋳物がさかんな街である。駅前に青いポストがあってなんだろうと近づいてみると、昭和40年まで丸型の赤いポストはこの街の鋳物工場で製作されていたこと、駅前の商業施設がオープンするタイミングで市民に地場産業を知ってもらうために未来型のポストを記念に建てたらしい。

 

ポストという構造物。誰かを宛先にしたメッセージたちが集まってきて、その人の元へ届くって、めっちゃ素敵と思う日曜でした。

 

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この数日の話

水曜日、姉からgoogle mapのリンクが送られてくる。仕事中だったからプッシュ通知のURLだけ見て後で返信すれば良いやと無視していたら、また通知が来た。

 

お母さんが脳梗塞になってしまい今手術中

お父さんと今病院にいます

 

ちょうど打ち合わせが終わったタイミングだった。「向かいます」とだけ返信して、帰り支度をする。不思議と動揺はしていない。泊まりになる可能性があるな、と自転車で家に帰り、着替えを取ってくる。動揺はしていなかったけれど、いつも以上に気をつけて帰る。家からはタクシーで駅まで向かおうかとも思ったけれど、いつも通り歩く。なるべくいつもの道、いつもの速さで、いつものラジオ番組を聴きながら。

 

病院の最寄りまで電車で約1時間。その間に姉とLINEする。その日、母は朝起きれず動けない状態だったらしく、父は少し様子を見ていたけれど(後から聞くと母本人の希望ですぐに救急車を呼ばなかったらしい)、父が心配になって姉を実家に呼び、13時ごろ合流して即救急車を呼んだ。

 

救急車を呼ぶまでに少しタイムラグがあった、そのことを姉から聞くと、最悪の事態のことが頭をよぎる。

 

それから救急車を呼んだんだけど、、、

ちょっと遅かったみたい

 

救急車で運ばれるまでの経緯を聞いて、絶対に父のことも姉のことも責めてはいけない、という気持ちで連絡を続ける。一方で、スマホで「脳梗塞 後遺症」と調べて、これからのことを考えてしまう。

 

最寄りの駅からその病院までは歩いて15分くらいかかる。歩いてられないと思って、迷いなくタクシーを使う。病院に着き、ICU(集中治療室)の前で待機する。先ほどLINEしたばっかりだけど、これまでの話を細かく聞いたりする。「もう少し早く呼べればよかったんだけど」と口にする父が結構落ち込んでいたから、そんなことない、十分早く救急車を呼んでくれたと思うよと励ます。本当にそんなことないから、悲しい顔をしないでほしい。

 

僕が着く前には手術は終わっていたようで、父と姉と3人で少し話していたら、医師に呼ばれ手術結果の話を聞く。連絡を受けた当初は動揺していなかったけれど、この時には冷静に話を聞くことができていなかった。手術は無事に成功したらしい。カテーテル手術と呼ばれるものだ。でも、現状、左半身が麻痺している。言語野も少し麻痺している。今後脳が腫れたり、出血してしまうと、頭蓋骨を切り開いて手術しなければならない。そうなると寝たきりになってしまうかもしれない。そうなった時にどういう判断をするかあらかじめ家族で話してください、と医師は僕たち家族に告げ、今日の手術をするにあたっての諸々の書類を改めて説明し、サインを求められる。

 

もはや家族の様子を気にすることはできなかったけれど、3人ともとても気持ちが沈んで、言葉数も少なくなる。父が弱々しく、姉に「実家に帰ってきてよ、お金の心配は要らないから」と、頼み込む。僕も母のためになにかしてあげたいと思う気持ちと自分の仕事をどうするかの間で揺れ動く。

 

やがて、看護師がやってきて、この後、お母さんと面会できますよ、とICUの病床に案内してくれた。母の顔は左側の顔がむくんだようになっていて、目の焦点も合っていないような様子だった。僕が中学生くらいの頃に亡くなった祖母の晩年と少し似ていて苦しくなる。「お母さん、会いに来たよ」「大丈夫だから」「何も心配しないでいいから」と家族3人で声をかける。母は首をかすかに縦にふったり、右手をわずかにひらひらさせ、反応を返してくれた。でも、たまたま数日前に実家に帰って母と会話していただけにその元気な頃とのギャップに涙が滲む。

 

先ほど医師から今後起こりうる悪い方の可能性の話が頭の多くを占めていたけれど、とにかく母を勇気づけたくて声をかけ続ける。手も握る。久しぶりに母の手を握ったな、とか思う。

 

その後、3人で実家に戻る。帰り道に父が若い頃よくお世話になっていた定食屋さんでご飯を食べる。家族で外食するのは久々で10年以上ぶりだ。美味しいはずのご飯もいまいち味の輪郭がぼやけているような気がする。

 

家に戻ると、看護師から持ってきて欲しいと言われた荷物をまとめ始める。父は家事を全部母頼りだったから、母の持ち物がどこにあるのか全然わからず、そういうわからなさも含めて落ち込んでいたように見えた。

 

***

 

木曜から日曜までお見舞いに通い続ける。

 

お見舞いに行く度に母が元気になっていくのがわかる。まだはきはきと喋れないけれど、顔のむくみ?も引いてきて、目の焦点も合うようになっている。たまに左足や左手も動かすことができて、立って歩けるようになるんじゃないかという希望も湧いてくる。「後30年は生きるつもりだから」「サンマス(NHKの「3ヶ月でマスターするピアノ」という番組のこと)録画してほしい」と、気力は十分で、どんどん元気になる母を見るのが嬉しい。

 

母の姉妹も見舞いに来る。母の最近の様子を話してくれた。姉妹で会っている時、僕の名前がよく出るようだ。実家に帰る度、適当なことばっかり喋っているからだと思う。最近では、僕が大谷がなんで人気かを滔々と話してたことを姉妹に話していたようだ。僕自身はほとんど記憶がない。

 

兄は金曜日にお見舞いに来た。僕たち家族は仲が悪く、兄の連絡先を母以外知らず、母のスマホから兄の連絡先を確認して、ようやく連絡を取れたのだ。

 

僕は10年ぶりくらい、姉に至っては20年以上兄と話していないから、お見舞いの時、どんな雰囲気になるんだろうと思ったけれど、それは杞憂だった。母の話から最近の話も含め、話をする。お見舞いの帰り道、兄弟3人で喫茶店で40分弱話し込んだ。これがどれだけすごいことか色んな人にわかってほしい!もし母が元気になったら家族で外食でもしたいと思った。

 

前の記事でも触れていた一次面接の話。あれは母の誕生日の日だった。母にも前々から行きたかった会社の面接受けに行きます、とLINEで伝えていた。結果は少し遅くなるけれど11/7までにはお伝えしますと面接官に告げられていたが、面接した日からあまりにも日にちが経ってしまったので、不合格になっていると思っていた。それが、母のお見舞いで待合室で待っていた時に結果通知が来た。おそるおそるメールを開封すると、合格の連絡で、次が最終面接である旨が書かれていた。母の症状が心配である気持ちと合格で嬉しい気持ちで感情がぐしゃぐしゃになる。

 

お見舞い中に「一次面接、受かってました!次が最終面接です」と報告する。母はまだ表情を動かすことはできないけれど、多分喜んでくれていた。次の日、その次の日のお見舞いでも、「次の面接はいつなの」「入社日はいつなの」と僕のことを心配してくれる様子を見て、これは絶対に受からないといけないと強い覚悟を決める週末でした。

暴力的コミュニケーション再考

外部団体の授賞式に上司と出席し、その後の懇親会も予定通り出席するものだと思っていたら、授賞式中、僕宛にLINEが来る。懇親会をキャンセルするよう調整して欲しいという内容だったのだが、授賞式中、スマホをイジるような失礼な態度は取れないとずっと壇上に注目していたから、気づかなかった。結局、式に出席していない先輩が代わりにキャンセルの連絡をしてくれ、授賞式後そそくさと会場を後にした。帰り道、上司は僕に鬼ほど詰めてくるのであった。

 

「俺と一緒に来た意味分かってる?」「ほんと周り見えてないよね」「すみません、って言ってるけど、ちゃんと俺の言ってること分かってる?」 「よく怒られてシュンとしてるけど、言われた〜ってショック受けちゃって、俺の話全く頭に入ってないでしょ」「ほんと俺の話聞かないよね」「前の会社で何学んできたの?」「その自信ないです感、やめてくれる?もう31歳なんだよね?」等と電車に乗りながら1時間ほど一方的にほぼ暴言に近い説教を垂れられて、ヤバい、メンタル折れそう、ここで泣いたらマジでメンタルやられてしまうぞ、と目ん玉に力を入れながら、上司の説教を聞く。

 

その上司は元々どんどん人を潰すリーダーとして評判の人で、一時期休職して最近復職して丸くなったと聞いていたがそんなことはなかった。もうこれはパワハラだと思い、僕は転職を決意し、その週末に職務経歴書を更新し、1社エントリーシートを送りつける。なぜ人事への相談とかではなく、転職に至ってしまうかというと、そもそもの会社の風土が受け入れられないと感じていたからだ。あまり細かく書くと会社がバレるので伏せる。年収の良さで多少の嫌な部分には目を瞑っていたが、今回のパワハラで一気に無理になった。

 

上司曰く僕の成長のため、指摘されたくないであろうポイントを狙ってあえて傷つくように話しているとのこと。「ほんとに怒ってるわけではないんだよ」。サイヤ人が瀕死状態から回復すると圧倒的に成長するように、その傷を乗り越えてほしいということなのか。自分のこれまでの価値観に反しすぎるコミュニケーションのあり方だった。権力勾配が発生している関係性で、暴力的にコミュニケーションを取ると、双方向に意見をぶつけ、より良い方向へ議論を導くことはできない。

 

嫌なら会社を辞めれば良い。たしかにその通りだし、事実自分は会社を辞める方向で動いているんだけど、そういう旧態依然とした価値観の元、ハラスメントが正当化される環境があっていいんだろうかとも思う(会社全体としてそういう価値観がうっすらある)。もう辞めるモードになってるので、会社に報告したり、会社と闘う気力はないけれど。

 

心理的安全性が担保されない環境でのパフォーマンスは著しく低下し、ミスも多くなる。自分の抱えているプロジェクトが今ひとりで進めているが、不安なのでチームのメンバーも協力して進めさせてほしい、と懇願するが、すぐに人を頼るな、責任を放棄したいだけだろ、と棄却され、相談するなら俺にしろと今の自分にとっては絶望的な解決策を提示される。

 

同じ時期に入社した中途入社の人に愚痴を言いながら、何とかやり過ごす。最近、東畑開人の『聞く技術/聞いてもらう技術』だったり、横道誠他4名の対談『ケアする対話』だったりを読んで、話を聞いてもらうだけでも心が軽くなりうることを知る。そこに有用な解決策が提示されなくても。

 

この前の金曜、一次面接に行った。その前日も上司に怒られて、自己肯定感が低めの中、面接に臨む。まだ結果は出てないけれど、面接官の反応は上々。言葉が力強いですね、なんて言われる。自尊心がズタボロの中、何とか言葉を紡げたのは、自分の仕事を褒めてくれた人たちの言葉がどこか心の拠り所になってるからだし、悩みを聞いてくれた友人たちのおかげでもある。

 

一次面接を受けた会社にはめちゃくちゃ行きたい。その会社に受からなくても年内に会社を辞めてやろう、そんなことを考える今日なのでした。