on the road

カルチャーに関する話。

「騎士団長殺し」を読んでいる。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

 

村上春樹は読書が好きという人なら大抵読んでるし、世間一般的にも春樹の特徴を理解している。

 

僕は熱心なハルキストというわけではないけど、高校生の頃から新作は当日に購入し、欠かさず読んでいる。「騎士団長殺し」も仕事が立て込んでいる忙しい時期だったが、昼休みに買いに行った。ただ時間を作らず読み進められずにいたのを最近ようやくスイッチが入って読めるようになってきた。

 

春樹の作家論を語るなら、いくつかアップデートされている点があるから楽しいと思う。比喩の話だったり、物語の構造だったり。比喩の話は上田岳弘がエッセイで言及しているから、参照されたし。まあ、いつも通り、「〜のように。」という構文が多すぎるが。

 

騎士団長殺し」は上巻の途中まで読んだが、この話は物語の構造的に過去方向へ考えを巡らすようになっている。(オースターの「ムーンライト・パレス」を思い出した。途中で読むのやめてしまったけど、最初に大枠が与えられているのは同じだ。)

 

前回のエントリーでも書いたが、過去への思索はタラレバな可能性への思索につながり、並行世界が立ち上がる。(少なくとも僕はそう思う)。

 

バタフライ・エフェクト」という言葉が人口に膾炙し始めたあたりから、このような物語が増えてきているのではないか。

 

さて、「騎士団長殺し」だ。

今回の作品全体として、不定形なものが多い。イデアである騎士団長だけでなく、比喩も雨や霧、海を渡る船などを多用している。

 

色についての表現も意味ありげに書かれていて、現代小説然としすぎている。免色なんて名前使っちゃうかー。「色彩のない多崎つくる〜」を読んでいる人は、色の描写を誇張して解釈するだろうな。その読み方は楽しいし、僕が大学生だったら100パーセントレポートで言及する。

 

初期作品の気取った文章はもはやない。「騎士団長殺し」を読むと、テクニックを色々覚えたのだなと感じる。ここまで読んだ人はお前のスタンスは結局どっちなの?怒と思っているだろうから、明言すると、僕は擁護派である。大好きだし、みんな馬鹿にせず読んでほしい。

 

主人公が色々考えているような作品が好きであるのと、他者に入れ込みすぎない距離感が心地よいから。

 

だいぶ雑に「騎士団長殺し」について書いたけど、読み終わったらちゃんと書きます。それでは。