on the road

カルチャーに関する話。

内定後〜退職前の日々

ここ3週間くらいウソをついているような心持ちである。

 

スカウトがあった会社の役員面接が8/16にあって、当日中に合格連絡が届いて、正式な内定通知があったのが、8/23。でも、まだ部署の人におおっぴらに転職することが告げられず、引継ができていない(それでも仲の良い同僚にはこっそり伝えているのだが)。10月には有休消化に入るつもりだったので、ここまでずるずる先延ばしされる状態に嫌気がさす。他部署との打ち合わせは入り続ける。10月以降のスケジュールの話をしていても、その時に自分はここにはいないのだと後ろめたさがある。会社が運営している地域のお祭りでグループ会社の人が、あらいさん、うちだと人気者なんですよ~、みたいなことを言ってくれた時も純粋な嬉しさを感じれなくなってしまう。

 

上司からは人事と面談するまではまだオープンに出来ないと言われ、人事と面談が終わった後になると、正式に退職願を申請して、それを代表取締役に承認してもらってからでないとオープンに出来ないと言われ、ゴールポストは動き続けている。もう2,3日したらこの後ろめたさから解放されるのだという気持ちでこの2,3週間過ごしているから、自分の気持ちを踏みにじられているような気分になる。2週間くらい放置された人事との面談で(現状に不満があるなら)もっと早く言ってよ~、いくらでも異動させてあげたのに、と若干こちらの非があるように論理が展開されていく様に驚く。でも、転職するから多少の嫌な気分も耐えられる。現代の社会人のリセット願望を叶えるのは転職なのかもしれない。

 

既に転職することを打ち明けていた後輩に飲み会の場で転職をしようと思ったきっかけを問われる。散々面接で話してきたのに、面接で話してきたことは核心めいたものではない気がしてくるから、もう一度記憶をさらってみる。その場ではお金の話とか極めて具体的な話しか思いつかなかったが、つまるところ、"何か面白いことがしたい!でも、ここじゃ出来ない(気がする)"というところに終着するかもしれない。

 

社会人1年目から3年目くらいまではこんな会社すぐに辞めてやる、みたいな気持ちがどこかあったのに、全然仕事は上手くいかなくて、周りからも期待されなくなり、自尊心がなくなり、社会人に向いていないなと感じたあの日々を今でも覚えている。4年目になり、総務部に異動した。色々な部署を経験していたこともあり、周りから期待してもらって、その期待に応えたいと思い、担当する仕事に関する本を数冊読んだりして、少しずつ、ほんとに少しずつ仕事が上手くいくようになった。この頃、『トイストーリー4』、『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』、カネコアヤノ「愛のままを」なんかに触れて、自分の好きなもの、大事にしたいものの方向性を見出したように思う。それは、なかったことにしない(≒ちゃんと言葉や形にする)ということで、全員が全員、上記の作品に触れても、そういう気持ちにはならないのかもしれないが、すくなくとも僕はそういう気持ちになった。ブログもそれまではTwitterで共有してこなかったのに、その頃くらいから誰かに読まれうることをちゃんと意識して書こうと、Twitterでリンクを共有するようになる。直接的に感想をもらうことはないけれど、たまに読んでることを伝えてくれて、その人数が少しずつ増えていて嬉しい。

 

仕事が上手くいくようになると、欲が出て、自分の部署の仕事を立て直したい、と思うようになる。ルーティン的な仕事を効率化したり、台帳を整えて管理しやすくしたり。そして、コロナ禍を迎え、コロナに関するルールを整備する過程で毎週グループ代表に報告したり、充実感を感じていたが、段々と孤軍奮闘しているように感じてしまう。上司・同僚が手をつけなかった電子契約システムの導入を担当したことがその気持ちを感じた大きなきっかけだと思う。他部署や経営者から求められていたものだから、やるしかないと企画書を書いてグループ代表へ報告したり、ルールを整えた。その過程で休日出勤も多くしていたのだが、同僚は見て見ぬふりというか、それは自分の仕事ではないとこちらに目をやらずに目の前の仕事に没頭している様がなんだか嫌だった。全員が全員、仕事に熱意を持って欲しいという気持ちはないつもりだった。でも、この人たちと仕事し続けるのは難しい、と思った。ここにいると、自分が腐ってしまう。

 

そもそも仕事大好き人間ではないという自己認識があって、ブログや創作をする時間を取りたいし、映画や本にもっと触れたい気持ちがあった一方、休日出勤が多くなりつつあったので、今の会社で仕事をやり続けたらやりたいことができないし、決断するなら今なんじゃないか、という気持ちが渦巻いて、転職サイトを登録するに至る。だから、転職先では、仕事以外の部分にちゃんと時間や労力を割かなきゃいけない。こういう愚痴めいたことを書くのはとても好きじゃないのだけれど、これを書かないと前に進めないような気がしたので、書き殴った。

 

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昨日、『ある行旅死亡人の物語』というノンフィクションを読んだ。行旅死亡人とは、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語。お世辞にも文章や構成が上手とは言えず、あまり人に勧めることはできない。でも、記者が取材しながら行旅死亡人の生前の様子を慮る感じは好きだった。行旅死亡人は、晩年あまり人とかかわらずに過ごしていたらしく、目撃証言がほとんどない。なぜか人付き合いを最低限にしていたらしく、とても孤独な人生だったんだろうと思う一方、遺品のぬいぐるみに名前をつけて、30年以上大事にしていたことがうかがえる写真を見ると、人付き合いの少なかった、その行旅死亡人がどんな気持ちで日々を過ごしていたのかとても気になってしまう。生前の様子を解き明かすところに焦点を置いて読んでしまうけれど、100%は明かされない。孤独な人でもその人の今を想う人がいるということがこの本で判明する数少ない事実のひとつで、でも、その事実ひとつにとても救いを感じる。

 

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都内の企業に引っ越しするので、都内に引っ越しをしようということで一昨日、内見に行ってきた。今の会社では電車に乗っている時間は5分足らず、通勤ラッシュとは縁遠い場所なので、今の家から1時間半くらいかけて通うのは耐えられないと思ったから、会社の近くに引っ越す予定だ。今まで一人暮らししていたところは実家からそう遠く離れていない。実家の生活圏のゆるい延長線上にあって、実家にいたときとそう変わらない気持ちで暮らしていたが、1時間半くらい離れた場所となると、さすがに生活圏と断絶していて、知らない土地で住むはじめての一人暮らし。内見は2軒だけして、1軒目に内見した場所に決める。今より家賃が倍以上になって恐ろしい。母に引っ越し先を伝えると、おじやおばが住んでいる近くらしい。思えば、母の実家がそこらへんだった(今はもう売却したみたいだが)。全く縁もゆかりもないかといえば、そうではない町だった。近くに銭湯があるっぽいから通勤する際に利用してやろうと思ってる。

 

10月中に引っ越す予定だけれど、有休消化期間中にたくさん散歩して土地勘を身につけねば。

 

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最近、仕事してる時とか頭で流れてる曲。