on the road

カルチャーに関する話。

退職前の日々(挨拶回り編)

もうじき自分が転職することが部署内でオープンにされるだろうと見積もっていたが、相変わらずオープンになる気配がなかった。転職することを既に告げていた後輩からはプレスリリースはいつなんですかと冗談っぽく問われる。こっちが知りたいよと吐き捨てることしかできない。ゴールポストを動かし続けられたので、上司への信頼みたいなものは吹き飛んでいる。引継をしっかりやろうと考えていた1ヶ月前の僕のモチベーションは既に低空飛行となっており、これならば10/1に転職していた方が良かったのではないかとすら思う。

 

9月の中旬、社葬の手伝いをした。もうここ数年元気がなかったのだけれど、会社の役員が株主総会の数日前に病死し、社葬を催すことになったのだ。ここ2,3ヶ月、本社の部長、課長や秘書は慌ただしくしていた。グループ代表の意向で準備段階は一部の者のみで進めていて、僕も詳細を知らない。部長と課長は会議室に出ずっぱりで、総務部の仕事は二の次、三の次という感じだった。事情をなんとなく察することはできたものの、総務部の仕事があきらかに停滞していたし、だからといって、〇〇さんフォローしてね、みたいな調整をお願いする場面もなく、風通しの悪さが極まっていった。

 

僕が入社する頃にはその役員は体調を壊していたから、元気だった頃を知らない。社葬を開くと聞いて、どれだけの人が来るのだろうかと疑心暗鬼だったが、思いのほか参列者が多く驚く。総務部の仕事をしていて、自分と直接的にかかわる人は社内の人ばかりだから、取引先の人が多く参列する姿を見て、会社を運営するということはこれだけの人がかかわるということなのかと素直な気持ちで感心してしまう。僕は参列者に花を渡す役割だった。もうすぐ転職して、この会社からいなくなるから、この場にふさわしくないとも思ったが、会社を辞めることがオープンになっていないが故、仕方がないと割り切る。白い手袋をはめて、礼をしてから一輪の花を手渡す。両手で受け取る人もいれば、片手で乱暴に受け取る人もいて、社葬の場でも案外作法を気にしない人もいるのだなとぼんやり考えながら、ひたすら花を手渡した。社葬も終わりに近づくと、手伝いをしていたスタッフも役割を中断し、祭壇に花を添えて、手を合わせる。社葬の実行委員長を務めていたグループ会社の社長がご苦労様と声をかけてくれる。この社長は会のはじめからずっと、誰よりも参列者に深々と礼をしていて、会社の黎明期を支えた人は違うなと尊敬する。

 

社葬の前後にも避難訓練や安全衛生に関する行事をホールで開催したり、イベントごとがいつも以上に多かった。イベントの忙しさとはやく引き継ぎしたい気持ちの両方で気付かない間にストレスがかかり、背中の筋肉が張って痛くなる。

 

9/21、ようやく部署の人に転職することが告げられる。その場に自分は同席しておらず、上司からメールで「誰々には伝えました」と報告がなされ、肩の荷が下りたような気になるが、自分が辞めることが告げられたときにどんなリアクションをするのか見たいというドッキリ番組のようなグロテスクな欲望を抱えていたので、肩透かしを食らった気分でもあった。弁明の機会というか自分の気持ちを伝える場は設けられないものなのか。

 

その後、部署の人からは腫れ物に触るかのように会社を辞めることに触れてこない。淡々と引継を始めていく。転職することをもう決心していたから今更引き留めて欲しいというわけではないが、やっぱりこの部署を愛せないという思いを強くする。

 

コロナ禍を挟んだこともあるが、会社の人と飲みに行くことが少なかったから、送別会とかそんなにすることもないんだろうなんて思っていたが、ありがたいことに仲の良い人たちと少人数で送別会めいた飲み会を色んな場で催してもらう。楽しければ楽しいほどここから出て行くのか、という感傷的な気持ちになる。最近、キム・チョヨプの『この世界からは出ていくけれど』を読んでいる。日本語版への序章にはこんなことが書いてある。

 

この本の韓国語版のタイトルは『さっき去ってきた世界』です。この短篇集に同名の作品はありませんが、作中人物が今しがた出てきた世界を振り返る場面から切り取ったものです。個々に収録された小説はすべて、自分が属していた世界から他の世界へと旅立ったり、そうして旅立っていく人を見守る話だったりします。

 

f:id:aoccoon:20231001161237j:image

 

転職をまさにしようとしている、今の自分のフィーリングにぴったりで、SFの話なのに自分の感情を言い表す言葉が見つかっていくような気分になる。新卒からその会社で勤めていたので、今年で8年目。小学校生活よりも長い。

 

他の会社のことは知らないが、今の会社では退職する人は最終出社日に社内イントラで関わりのあった人にメールをCCで送る文化がある。全員に挨拶するわけにはいかないから、メールで済ませるということだ。僕も最終出社日に送ろうか悩んでいたが、早めにメールを送って、その上で挨拶とかしちゃった方が良いでしょ。メールの返信も読む時間が取れるし、と同期から飲み会の場でばっさりと言われたので、最終出社日の1週間前に送ることにした。

 

今の会社はグループ全体で5,000人弱くらい。飲み会にもあまり参加しないし、ゴルフ、麻雀をたしなまないからそこまでメールで挨拶する人はいないだろうと思いながら、宛先を加えていったら、300人くらいになった。思い返すと、僕はグループ全体を対象に仕事をすることが多かった。管理職に対する仕事もしていたし、実務者レベルでのやりとりもあったから、簡単にそれくらいの人数になってしまうのだ。

 

いちばんはやく返信してきた人がグループの中でベスト3に入るほどの厄介者の課長だった。本社をとても敵視している人で本社の若手のほとんどが小言を言われて、トラブルになる。僕も1回だけ言われたことがある。その厄介者の課長からの返信がとても残念がってくれてる様子が伝わって、かつ、応援のメッセージをくれたから、とても嬉しかった。それはカネコアヤノの表現を借りれば、お守りみたいな言葉だと思う。

 

夕方に挨拶回りを始める。グループ会社の管理系の部署から健康相談室まで。健康相談室はコロナの時に色々お世話になった人たち。みんな、僕が会社を辞めることになるとは全然思っていなかったらしく、とてもびっくりした様子だった。その後に厄介者の課長の返信を見て、周りがざわついたことを告げてくれた。あんまり関わりがないと思っていた部署に足を運んだときも、総務の人、みんなあらいみたいに仕事してくれれば良いのにね、とか嬉しい言葉ばかりかけてくれる。会社を辞める人に直接悪く言う人はいないんだろうけれど、自部署の冷たい反応と比べると、普通に嬉しい。全然仲の良い人がいないと思っていたところでも良く思ってくれる人はいる。