on the road

カルチャーに関する話。

朝練したい

引っ越してから、遮光カーテンの隙間から陽が差し込んで、目覚めが良くなった。朝、寝起きに日差しを浴びることの重要性にようやく気付く。今まで目覚めが悪く、二度寝は当たり前、朝ご飯もろくに食べずに家を出る日々だった。けど、ちゃんと起きれるようになって、朝に対してイメージが少しずつ変わってきて、この2,3週間くらい、朝を再定義したい気持ちになっている。

 

蛍雪の功という言葉は、中学生か高校生の頃、国語便覧で出逢った言葉だった。蛍の光、窓辺に映る雪明かり。努力はそういうささやかな光を頼りに夜にするものなのか、と印象に残っている。でも仕事終わりに家へ帰ると、疲れてこっから勉強だ、という気持ちにスイッチを入れるのは相当難しい。夜は飲み会やご飯の予定も入りやすいので、今日はやらなくて良いかって気持ちになりやすい(ほぼ100%)。

 

『アオのハコ』を読んで、朝練する人の意志の強さ、まっすぐさがすっごい刺さる。夜にする努力よりも習慣化されてる感もあるし、体力のある時間帯に自分のやりたいことをやるということの正しさ!練習試合で遊佐君と試合するシーンの、千夏先輩のモノローグがとても感情を動かしてきて、早起きして身体動かしたり、勉強したくなる。

 

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最近、三遊亭鬼丸の寄席を観た。看板のピン、居残り佐平次、芝浜の3席をやって、芝浜を生で聴けたのが嬉しかった。居残り佐平次、芝浜はトリネタで、鬼丸師匠もまだ演芸場ではトリネタを務めることはないそうで、こういう単独の寄席で研鑽を積んでいるとのことだ。鬼丸師匠は51歳。会社であれば、もう大ベテランと言っていい位の年齢だけれど、芸の道はこうも長いのかとその研鑽を積む年月の長さに驚き、芸事に携わる人たちへ強い尊敬を抱く。


ちょっと前に読んだ『東大生、教育格差を学ぶ』という本で印象的だったのが、東大生が自分たちの恵まれた環境を自覚して、自分たちの努力すら否定してしまいそうな気配が生じたこと。もちろん環境は恵まれている人は多いが、努力をしていないかというとそれは違う。すべてを環境のせいにすることも、努力のおかげとすることも極論であって、個人としても社会としてもそこの折り合いの付け方は難しい。でも、すべてを努力に還元しないことで他者に対する解像度はほんの少し高くなるんじゃないか。なんて思う。

 

今の僕は、少し努力じみたものをしたくなっている。バキ童チャンネルで受験エピソードを話す回があって、受験勉強中の狂気じみた勉強量、でもその中でしか味わえない達成感、充実感を思い出す。あれをもう一度感じたくなる。とりあえず明日は早起きしてやる🔥