on the road

カルチャーに関する話。

No!ではないやり方で。

今日はクリスマスです。いかがお過ごしですか。

 

僕は、1時間有給を取って、渋谷のライブハウス 渋谷 CLUB QUATROに行きました。目的は、homecomingsのライブ。

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ホムカミのライブを見るのはこれで3度目で、今日はいつにも増して演奏がうまく感じた。僕は、音楽に関して専門的な知識は全然ないんだけど、彼ら(彼女ら)の音楽がとても大好きなんです。

 

なんとなくの寂しさとそっと寄り添う優しさ。これがたくさん歌われていると思う。

 

今回のアルバムのジャケットはよく見ると壁紙にプリントされたイラストであることがわかる。上に載せている写真はその壁紙だ。一回、壁紙にすることは無駄なように思われるかもしれない。MCでギターの福富さんが言っていた。無駄こそが我々の愛なんだ、と。(間違っていたらごめんなさい。けど、そういう趣旨の言葉だったと思います)

 

無駄は、今の社会からは疎まれる存在だ。けど、本当に不要だろうか?僕の好きな映画である小津安次郎の「お早う」の中でも無駄がこの世の潤滑油だ、と言っていたではないか。特に用事もないけど、おはよう!って声をかけるってことだ。今日はいい天気ですねと声をかけて、そのあとの会話は続かないけど、一緒に外を眺めるってことだ。そんな愛おしい思いやりに溢れる瞬間を目にするのが僕は大好きだ。

 

ここ1,2年嫌なニュースが増えてきた。アンコールで再度登場した福富さんは言う。

 

青山の児童相談所のことだったり、沖縄の辺野古の話だったり。それにNo!と言うこともできるけれど、せっかく音楽を作っているからNo!って言うのではない別のやり方で伝えていきたい。

 

なるほど、と僕は思う。もちろんNo!ということは大事だ。それは弱い人の力になるって表明だから。けれど、喧嘩になるだけのこともある。相手の人格まで否定してしまう人もいる。この1,2年のムードを色んな場面で肌で感じた身としては、No!って言ってもなかなか変わらないのだ。僕は諦めに似た感情すら抱いていた。

 

だけど、今日のホムカミのライブでNo!ではないやり方があると思った。そのやり方のヒントになるのではないかという映画を2つ思いついた。「インサイド・ヘッド」と「スリー・ビルボード」だ。

 

 

ピクサーの映画「インサイド・ヘッド」の教訓を覚えているだろうか。見ていない人は大人だとしても見るべきだ。「インサイド・ヘッド」のテーマは、カナシミという感情はなぜ存在するのか?だ。本当はちゃんと説明した方がいいのだろうが、結論を書く。カナシミは、人に寄り添うためにある。カナシミ、痛みを知る人が人に優しくなれるのだ。

 

 

 

スリー・ビルボード」はとても複雑なストーリーだが、テーマは簡単だ。人は変わることができるのか。過ちを犯した人を許すことができるのか。

 

詳細は省くが、オレンジジュースのストローの向きを変えるシーンの感動を僕は今でも覚えている。

 

物語を作りたいと思う人間の1人である僕は、物語の力を借りて、人に寄り添うことを描いていきたいし、きっと単なるメッセージであるよりも色んな人に伝わるのではないかと思う。

 

No!ではないやり方で。けど、仕方ないよね、で諦めるのではないやり方を考える。