on the road

カルチャーに関する話。

好きになること、好きであり続けること

こんばんは。
肌寒い夜を目的もなくだらだら歩きたくなったり、桜のつぼみのふくらみを見ては、顔の筋肉がゆるむ日々です。

 

ブログをあまり更新してはいないのだけれど、色々pomeraに 書きためています。

 

僕が最近とにかく思うのは、好きになることのきっかけであり、好きであり続けることの大事さです。

 

 

好きになるって、2パターンあると思う。
ひとつはひとめぼれ。英語でいえば、crush。つまり、押しつぶされてしまうくらいの感情。びっくりするくらいの美人、とっても面白い漫画、映像がすてきな映画。
ひとめぼれすることは、年をとるにつれて、減ってくる。悲しいことに。一目惚れしたときの心臓の高鳴り、浮き足立ってしまうような気持ちが押さえられなくなる、みたいな経験はもうないだろうと思う。

 

 

ひとつは、いつの間にか好きになっていること(後で好きだと気付くこと)。漫画にありがちだと僕は思うけれど、みなさんどうですか。自覚していないけれど、徐々に好き、という感情が育っていくような展開。その人と会っているときは、そんなに好きという感情 は思い浮かんでいないんだけれど、なぜか帰り道は楽しかった気持 ちと寂しい気持ちがない交ぜになって、家に帰って、 お風呂でぼーっとしているときに、もしかしたら好きかもしれない 、と思ってしまうこと。
僕は、「ムーンライト」の映画があてはまる。見た当初は、それなりに良かったね、って感想だったんだけれど、「ムーンライト」で 描かれている繊細な感情のことを忘れられなくて、好きな作品の一つになった。

ひとめぼれすることもいつの間にか好きになっていることもとてもすてきだと思う。だけれど、好きであり続けることはもっとすごいと思う。

 

大学時代、アイドルを好きになったし、色んなバンドを良いと思っ たけれど、いつの間にか飽きてしまって、 見たり聞いたりしなくなった。ファンは落ち目の時こそ応援しなきゃ!というのはのび太くんが言ってたはずだ。

 

たぶん、僕の大学時代のサブカルチャーとの向き合い方は、消費的な向き合い方だ。使い捨てで流行り物にどんどん気が移ろっていく 。けれど、好きであり続けること、これがきっと大事だ。自分がつらいときにそっと背中をさすってくれたり、その後で背中を押してくれたりするのは、ずっと好きな人の言葉だったり、好きなものに込められたメッセージだろう。

 

好きであり続ける、とは言葉を重ねていくことなんじゃないかと思っている。心の中でその人ならどうするかな、あの人は今でも頑張っているのかな。「H2」が好きな理由は、野球をちゃんとやっているからだと思ったけれど、実は初恋の呪いが描かれているからではないだろうか、脇を固めるキャラクターのバックボーンの人間くささが好きなんじゃないか。とか。

言葉を重ねていくと、自然と好きが持続する、と思う。相対性理論的な話です。言葉を重ねていくと、相手を中心として世界に歪みが生じる。なので、何を考えていても思考が相手の方に引き寄せられてしまう、みたいな。

 

大学の頃からだけれど、悪口が本当に苦手で、それはミイラ取りが ミイラになるみたいな感じで、悪口を言っている人も悪く見えてくるからだ。好きなものを語ることに労力を使いたい。

 

抽象的な話ばかりだけれど、4月からはもっと映画の感想とか小説のこととか具体的なことを書いたり、podcastを通じて話していきます(友達と4月から始めます)。

 

それでは。